世論を変えていくためにできること


はじめに

先のブログでは、現政権下で内閣に対する様々な規制や監視が及ばなくなっている状況を、統治機構の構造に照らして確認し、制度や運用のどこをどのように改善・改良すべきであるかについて検討しました。そして、制度や運用を改めるためには、世論を動かしていくことが最も基底的な力となるのではないか、という結論に至りました。

今回は、それではどうやって世論を変えていけばよいのか、「伝える内容」と「伝える方法」とに分けて考えていきたいと思います。

第1 伝える内容

まずは伝える内容についてです。

1 何を伝えるか~当然のルールが守られていないこと

忘れてはならないのは、「民意を尊重しながら、憲法や法律に則って政治を行う」というのは、現代民主国家では、当たり前のことであるということです。

どういった政策を実行していくか、優先順位をどのようにするのか、といったことについては政治的信条やスタンスによって様々な立場や見解があり得ます。しかし、それもこれもすべてはこの大前提のルールを守ったうえでのことです。行政を担う以上は、誰であっても当然に守らなければならないルールといえます。

相撲にたとえて言えば、押し相撲・四つ相撲など力士によってそれぞれ得意のスタイルがありますが、どんな相撲をとるにせよ、ルールを守らなければなりません。現政権がやっていることは、ルールを完全に無視して土俵を壊し続けているようなもので、完全な禁じ手です。

基本政策が必ずしも一致しない野党同士で共闘をしているのは、この異常な状態を改めるためです。土俵が壊れたままでは相撲にならないのと同じで、この異常を正さない限りは、まともな政治ができないし、政策論議も成り立たない訳です。

こうした状況について、私たちが正しく認識することが出発点となります。

1つ1つが重大な問題であっても、それが繰り返し起こると、知らず知らずのうちに慣らされてしまったり、感覚がマヒしたりしてしまいがちです。また、そうであるにもかかわらず政権が長期にわたって続いていることで、正常化バイアスのようなものも働いて、実はそれほどの問題ではないのではないかという錯覚に陥ってしまうかも知れません。

しかし、上記の例に則して言えば、与党力士は土俵を破壊し続けています。この点の正しい認識を広める必要があります。

2 伝える際の工夫~単品だけではなく、セットやパッケージでも伝える

異常事態であるとの認識を広げるためには、1つ1つの問題をバラバラに伝えるだけではなく、関連する複数の問題をセットやパッケージにして伝えるのが効果的ではないかと思います。

先のブログは、「内閣に対して本来及ぼされるべき規制や監視が及ばなくなっている」という視点から整理して、かなり大きめのパッケージにしたものです。

これ以外にも、以下のようにセットやパッケージの仕方はいろいろ考えられます。どれもこれも、行政権を担う以上は当然に守らなければならないことばかりです。問題がたくさんありすぎるとかえってわかりづらくなってしまうので、伝わりやすいように整理したり、ラッピングしたりするイメージで考えてみるとよいのではないかと思います。

  • 憲法を無視ないし軽視する施策を繰り返している
    違憲性を指摘される法律の制定(特定秘密保護法、安保法制、「共謀罪」法)、憲法53条に基づく国会開会要求に応じない、憲法尊重擁護義務に違反する言動
  • 国会審議を形骸化している
    まともに答弁しない、虚偽答弁、審議時間を先に決める、強行採決
  • 公文書管理に関するルールを守らない
    公文書の隠蔽、廃棄、改ざん、不作成
  • 明らかな虚偽やミスリードを多用している

第2 伝える方法

次に伝える方法についてです。

インターネットやSNSの普及によって、私たちは情報を自ら発信したり、受け取ったりすることが可能になりました。私は安保法案反対の取り組みをしていた頃に、「アクションリスト」を作り、このブログでも紹介したことがあります。

これは、世論を広げるのに役立つアクションを、「メディアを通じて」「アピール行動で」「学習会で」「宣伝ツールを利用して」という4つの類型と、初級→中級→上級→達人の4つの段階に分類して整理したものです。

初級は、おそらく誰にでもできることを挙げていて、中級、上級とステップアップするにつれて難易度が上がっていく仕組みです。アクションに参加する人が広がり、それぞれがステップアップしていくことによって、社会の空気を変えることができるのではないかということで提案しました。

この「アクションリスト」の内容は、いまでも基本的に有効だと思います(新型コロナウイルスの影響から、一時的に学習会やアピール行動等をすることが困難な地域もありますが)。このリストも参考にしながら、それぞれに工夫やアレンジを加えて、様々な方法で情報を発信していきましょう。

第3 報道機関を支える

1 報道機関が持つ特別な能力と使命

取材などを通じて「事実を調査する能力」、報道によって「事実を広く知らせる能力」のどちらをとっても報道機関の能力は別格です。

また、もともと報道機関には、国民の知る権利に奉仕するとともに、行政権を含む国家権力を監視する使命があります。

正しい認識を広げて世論を変えていくうえで、報道機関が果たすべき役割は非常に大きいと言えます。「アクションリスト」の一番上に「メディアを通じて」と書いたのは、そのためです。

2 報道の現状とその弊害

(1)報道の現状(傾向)

ただ、残念ながら、最近の報道機関は、持てる能力を十分に発揮してその使命を果たしているとは言い難い現状もあります。

特に問題が大きいと感じるのは、「安倍総理は○○と述べました。」「政府は○○する見込みです。」「これに対し野党は反発を強めるものと思われます。」等、第三者的な立場から、政府・与党と野党の対立構図で描く傾向がみられることです。

(2)報道の弊害その1~本質から目をそらす効果

本来であれば、「与党力士が土俵を壊したこと」について、絶対に許されないルール違反であるという解説付きで報道すべきです。そうした報道に接すれば、多くの人は「力士のくせに土俵を壊すなんてとんでもない。」「厳重処分にすべきだ。」と考えるでしょう。

しかし、「野党力士は与党力士が土俵を壊したことに対し、反発を強めるものと思われます。」「野党力士は徹底抗戦の構えです。」などと他人事のように報じると、「野党力士はこの後どういう対応をするんだろう?」などの点に意識が向いてしまい、与党力士が土俵を壊すというとんでもないことをしたということが伝わりづらくなってしまいます。

与党と野党の対立構図で描く報道には、土俵が壊され続けているという問題の本質から国民の目をそらすという問題があるのです。

(3)報道の弊害その2~客観報道ならぬ「観客報道」

また、政府・与党と野党の対立構図を第三者的に報じることには、もう1つの問題があります。

それは、そうした報道に触れた国民が、政府・与党と野党が対戦するスポーツかお芝居の観客であるかのような感覚になってしまうことです。

国民は、主権者として民主的コントロールの起点に位置しており、政府・与党は民主的コントロールの客体です。政府・与党が好き勝手していれば、国民は「自分たちの意向を無視して勝手なことをするな」と怒るべき立場にあります。

国民は、国会を通じて内閣を民主的にコントロールする起点

しかし、第三者的な報道を見ていると、知らず知らずのうちに観客目線になってしまうのです。

報道機関が与党対野党の構図で報道すると、国民も与党と野党の対戦を観客席から眺めている意識となってしまう

4)象徴的な声

こうした問題点を象徴的に表しているのが「いつまでモリ・カケ・サクラの話をしているのか。そんなことより大事なことがあるだろう。」という声です。

これは先ほどのたとえ話で言えば、「いつまで土俵を壊した話をしているんだ。力士なんだからそんなことしていないで相撲をしろ。」といっているのと同じです。

このような考え方になってしまうのは、壊れた土俵では相撲が取れないという本質が見えていないからでしょう。また、問題行動をしている与党ではなく、国民の代弁者としての役割を果たそうとしている野党を攻撃するのは、当事者目線ではなく観客目線となってしまっているからではないかと思います。

(5)「観客報道」を改めてもらう必要

いくら個人個人でがんばって情報を発信しても、より大きな影響力を持つ報道機関が「観客報道」を続けていると、それによる弊害の方が大きく、なかなか効果が上がりません。このため、報道機関による「観客報道」を改めてもらう必要があります。

ではどうしたら改められるでしょうか。この点については、どうして「観客報道」となってしまうのか、その原因や背景から考える必要があります。

3 報道機関への圧力と萎縮・忖度

報道内容が「観客報道」になってしまう背景には、政権から報道機関に対する圧力があります。報道機関から監視を受けるはずの国家権力が、逆に報道機関を監視しているという逆転現象が起こっているのです。その結果、報道機関内部には萎縮・忖度の空気が蔓延しています。

(1)直接・間接の圧力と委縮・忖度ムード

2014年末の衆院選前、自民党は各テレビ局に対して「公平中立」な選挙報道を文書で要請しました。また、2015年4月には、テレビ朝日(「報道ステーション」)とNHK(「クローズアップ現代」)の局幹部を自民党本部に呼び出して直接事情聴取しました。さらには、2016年2月には、高市総務大臣(当時)が国会答弁で、放送局が政治的な公平性を欠くと判断した場合、放送法4条違反を理由に電波法76条に基づいて電波停止を命じる可能性に言及しました。

2016年3月に3人のキャスター(古舘伊知郎氏、国谷祐子氏、岸井成格氏)が交代しました。時系列を見れば、その背景にこうした一連の圧力が影響していることは明らかでしょう。

最近でも、報道ステーションを制作する社外スタッフ約10人に契約打ち切りを通告された件や、東日本大震災を発生翌日から現場で取材し、原発事故を検証する企画「プロメテウスの罠」や「手抜き除染」報道などに関わった朝日新聞の青木未希記者が記事を書けない記事審査室への異動を命じられた件など、報道機関内部での委縮・忖度ムードはさらに膨らんでいるように見えます。

(2)国際的な批判や否定的評価

政権による報道機関への圧力に対しては、国際的にも強い批判や否定的評価評価が寄せられています。

ニューヨークタイムズは2019年2月、菅官房長官が記者会見での記者からの質問に対して「あなたに答える必要はありません」と応えたことを「独裁政権のようだ」と批判しました。

また、表現の自由に関する国連の特別報告者(デービッド・ケイ教授)は、2019年6月の人権理事会に提出した特別報告書で、日本では政府が批判的なジャーナリストに圧力をかけるなど報道の自由に懸念が残ると指摘しました。さらに、国際NGO「国境なき記者団」による報道の自由度ランキング(2019)では、日本のランキングは67位にまで落ち込み「顕著な問題がある国」に分類されている状態です。

国内にいると感覚がマヒしてしまいがちですが、日本はいま、政府の報道機関への圧力によって報道の自由が大変な危機にさらされているという点でも、異常な状況にあるといえます。

(3)萎縮・忖度ムードを打ち破るために

ア 報道機関への不当な圧力に抗議すること

先ほども書いた通り、報道機関には、国民の知る権利に奉仕するとともに、行政権を含む国家権力を監視する使命があります。

また、総理や官房長官の記者会見で直接質問できるのは、報道機関の記者だけです。記者は、国民の知る権利に奉仕するために、国民の代弁者として質問しているのです。質問に答えない、質問させない等の扱いは、当該記者だけではなく、主権者である私たちをも軽んじ、私たちの知る権利を侵害しているということを意味しています。

不当に圧力を加え、質問に対してまともに答えようとしない政権に対しては、報道機関だけではなく私たちも抗議の声を上げることが大切です。

報道機関が国家権力を監視する使命を果たせるように、国民が支える必要がある

イ 報道機関を支えること

もちろん報道機関の中には、こうした状況下でも使命を果たそうとがんばっている方もたくさんいらっしゃいます。こうした方々の頑張りを様々な形で励まし、支えることも大切です。よい報道があったらSNS等でシェアする。新聞や雑誌であれば、購入・購読する等、私たちにできることはいろいろあります。

なかでもオススメは、直接報道機関に声を届けることです。よい報道があれば感想と励ましの声を、そうでない場合には批判の声を届けましょう。

元NHK記者の相澤冬樹さんは、自身の著書(『安倍官邸vsNHK 森友事件をスクープした私が辞めた理由』)で、当初は全国放送で森友問題を取り上げようとしなかったNHKが「150件ほどの苦情があった」ことで、「徹底報道せよ」との方針に転換したことを紹介しています。わずか150件の苦情で方針が切り替わったのは、届けられる1つの声の背後に数千人の同様の声があると認識されているからでしょう。報道機関に声を届けることには、私たちが思っている以上に効果があります。

最近はどの番組でも専用のホームページがあり、そこからメールを送ることができるようになっています。各メディアの連絡先は「りぼん・ぷろじぇくと2016」が一覧にまとめてくれています。

おわりに

私たちがすべきことのまとめ

以上のことをまとめると、以下のようになります。

  • 異常事態であることを正しく認識し広げること
  • 一人ひとりが工夫しながらできることをしていくこと
  • 報道機関に対する攻撃に抗議し、報道機関を励ますことによって、報道機関が使命を果たせるような環境を作ること

たった一人でも

加計学園問題で「あったことをなかったことにはできない」と声を上げた前川喜平元文部科学事務次官官房長官の記者会見で質問制限とたたかい続けている東京新聞の望月衣塑子記者、そして森友問題で公文書改ざんを告発する遺書を残して自殺した赤木俊雄さんと、真実を明らかにするために国を提訴したご遺族

最初はたった一人でも、おかしいものはおかしいと勇気を持って声を上げたことで、多くの人の共感を呼び起こし、大きく社会を動かしています。私たちもそれぞれにできることからチャレンジしていきましょう。

制度を機能させるのは人

制度や理念としての民主主義や立憲主義は、ただ存在するだけで自動的に機能するわけではありません。制度を機能させるのは人間です。制度が機能不全に陥った場合には、主権者が機能させるべく働きかけをする必要があります。また、どんな事態にも対応できる万能な制度はありません。今の制度を機能させることができなければ、多少の制度改良をしたとしても、いずれ同じ事が起こるでしょう。

そして、制度が完全に壊れたり失われたりしてしまえば、それを取り戻すのにはかなりの困難を伴います。まだかろうじて機能が残されているあいだに、私たち自身の手で取り戻しましょう。それが憲法12条が国民一人一人に求める「不断の努力」の実践であると思います。