つれづれ語り(「決められる政治」の末路)


『上越よみうり』に連載中のコラム、「田中弁護士のつれづれ語り」。

2020年12月9日付に掲載された第98回は、「『決められる政治』の末路」です。前政権と現政権に共通する異論排除の姿勢について書きました。

「決められる政治」の末路

今年は、安倍政権から菅政権への移行がありました。安倍総理の辞任表明後、地元紙の取材を受ける機会があり、そこで7年8ヶ月に及んだ安倍政権に対する評価について聞かれました。その際考えたことについて一度ブログに書いたのですが、政権移行がなされて数ヶ月経ったいま、2つの政権に共通する特質について改めて考えてみたいと思います。

異論を徹底的に排除

安倍政権の特質の1つは、「異論」を徹底的に排除する点にありました。

特定秘密保護法、安保法制、「共謀罪」法等々、政府が進めようとしている政策に「賛成か、反対か」という単純な構図で二分して、「反対」の立場からなされる指摘や批判についてはまったく聞く耳を持たない。それが国民世論であろうと、学者や専門家の指摘であろうと、関係なし。「そのような批判は一切当たりません」と言って撥ねつけ、あらゆるものを無視して突き進む。

しかも、「批判が当たらない」理由については、ほとんど語られません。それでも国会で法案の採決を強行して、「引き続き丁寧に説明して参ります。」と述べておしまいにする、というのが定番の展開となりました。

「決められる政治」を掲げて政権を奪還した自民党は、こうして「勝手に決める政治」を実現した訳です。

現政権も

そして、この異論を排除するスタンスは、現政権にもそっくりそのまま引き継がれています。

菅総理は、自民党の総裁選挙のさなかに放送されたテレビ番組で、政府の決定に反対する官僚は異動させる意向をあからさまに示しました。また、日本学術会議の会員候補のうち6人の任命を拒否した理由について、「政府方針への反対運動を先導する事態を懸念」したためであると複数の政府関係者が明らかにしたとの報道もなされています。

異論は宝

しかし、どんなに優秀な人であっても、ある政策を実行することによって社会全体にどのような影響が及ぼされるか、そのすべてをあらかじめ見通すことは不可能です。

だからこそ「異論」はとても大切で、異論のなかにこそ宝があります。専門家はもちろん、社会のあらゆる層の人々の経験や知恵を汲みつくし、政策を実行したときに生じうる問題や弊害、デメリットなどを洗いざらい出し尽くす。そのうえで、「どうすれば弊害を回避できるか」「どうしても避けられない弊害に対してどのような形で手当てするか」といった改善策を検討し、よりよい政策に仕上げていく。その過程こそが民主主義であり、政治に期待される本来の役割です。

本当に無駄なのは

前職・現職の2人の総理大臣はどちらも、言葉を尽くして理を説くこと、理解を得るために労力を割くことを無駄であると捉えているように見えます。

しかし、異論を排除し、説明を拒否し、社会を分断した結果、この国の政府は、新たな感染症に対して有効な手だてを取ることができず、まったく必要とされていないマスクを貴重なお金とマンパワーをかけて配るという究極の無駄使いをすることとなりました。このような愚を繰り返さないためにも、諦めることなく自分なりの「異論」を述べ続けていきたいと思います。


41571URvqHL

『上越よみうり』に連載中のコラム「田中弁護士のつれづれ語り」が電子書籍になりました。
販売価格は100円。こちらのリンク先(amazon)からお買い求めいただけます。スマートフォン、パソコン、タブレットがあれば、Kindleアプリ(無料)を使用して読むことができます。