強みをいかす
食べることと、体を動かすことが大好きな二男。
お勉強も食べ物に絡めるとよく理解できるようです。
先日、ラーメン屋さんに行ったとき、二男が「〇〇ラーメン春日山店」を「〇〇ラーメンかすがやまみせ」と読んだので、漢字の音読みと訓読みの話になりました。
父 「漢字っていろんな読み方があるでしょ。」
二男「うん、わかるよ。おんよみと、くんよみでしょ。」
父 「お~、すごいね。じゃあ、しろは何読み?」
二男「う~ん、くんよみ?」
父 「そうだね。じゃあ白の音読みは?」
二男「え~と、はく!白米!」(白米を思いついたので自信たっぷりに)
父 「お~、すごい!じゃあ、あかは何読み?」
二男「くんよみ?」
父 「そうだね。じゃあ赤の音読みは?」
二男「う~ん、、、せき? 赤飯!」(赤飯を思い浮かべたのかうれしそうな顔で)
幸せそうでいいね。
備忘のために
長女は髪を伸ばしています。
ご飯を食べるときはジャマになるので髪をゴムで結びます。
保育園に行くときも、髪をゴムで結んできてくださいと言われています。
でも、忘れてしまうこともしばしば。保育園についてから「あ~忘れちゃった~」となることもありますし、忘れたことにすら気づかず、夜家に帰ってから「パパきょうもわすれてたね」と言われることもあります。外食するときなども、ゴムを忘れてしまうことがあります。
なので、自分のカバンのポケットに入れたり、腕につけておいたりすることもあります。
先日、調停期日に控え室で依頼者の方とお話しているとき、自分の手首に髪ゴムがついているのに気づきました。自分が気づいたのと同じタイミングで依頼者の方も気づいたのではないかと思ったので、照れ隠しもあって「あ~、娘の髪を結ぶの忘れちゃいました」と言いながら腕を見せたのですが、先に気づかれていたようで「あ~、娘さんのなんですね。さっき見たときに先生髪短いのにゴムするんだなと思ってました」と言われてしまいました、とさ。
子育てと憲法
女の子って、お人形遊びが好きな子が多いですよね。
うちの長女もご多分に漏れず、いろいろお世話したり話しかけたりして、遊んでいます。一緒に遊ぶことを求められることもありますが、一人で遊んでくれることも多いので助かります。
でも、外に出かけるときにも持っていきたがるのは、考えものですよね。
いや、ずっと自分で持っていてくれれば何の問題もないんですよ。
ただ、大概は、途中でこちらが持たされる羽目になります。
別に重いからやだとか、荷物になるのが困るとかいうんではないです。
目立つんです、かなり。おっさんが人形を持っていると、ただそれだけで。
そんなときは、「別に人形好きのおじさんがいたっていいじゃないですか。別に私がそうだというわけじゃないですけど。」「そもそもそんな外形的なことだけで人を判断するのはどうなんですか?そんなのは偏見だし、そういうのが差別につながるんですよ。」などと、内心で架空の問答をしながら、耐え忍びます。
それでも、長女が傍にいるときは、娘に持たされている感を前面に出せるので割と平気です。なんだったら「子煩悩なお父さん」というプラス評価すらあり得ます。
しかし、長女が「トイレにいきたい」と言い出すと、状況は一変します。
「パパちょっともってて」と言ってお人形を手渡される訳ですが、中年男性が女性トイレの入り口付近でお人形を抱えて立っている様は、どこからどう見ても文句のつけようがない不審者です。そんなときには、「人間ってこんなに唐突に窮地に立たされることがあるのか」という悲嘆にくれながら、「ところでこの状況は、憲法18条(奴隷的拘束及び苦役の禁止)と36条(拷問及び残虐な刑罰の禁止)のどっちに違反しているんだろう。」などという思考を巡らせるようにしています。