はじめに
現政権の様々な問題
現政権は、世論の反対を押し切って、憲法に違反・抵触する施策を繰り返し行っています(特定秘密保護法、安保法制、「共謀罪」法の制定等)。また、法律に違反して権力を私的に濫用している疑いも濃厚です(森友問題、加計問題、桜を見る会等)。
どうしてこれらのことが「可能」になっているのか、現行法のもとでは「やむを得ない」ことなのか、是正するためにはどのようなことが必要なのか。こうした点について、考えてみたいと思います。
統治機構の構造を知る必要
この問題を考える前提として、行政に対して本来どのような規制や監視が及ぼされる仕組みになっているのか、統治機構の構造を確認する必要があります。
自動車を修理する場合には、「ハンドルが重い」、「ブレーキの効きがあまい」、「足回りがあやしい」などの症状から、故障箇所を推測し、分解して部品を直したり交換したりします。自動車の構造がわかっていないと適切な修理はできません。それと同じように、行政のあり方がおかしい場合にどう対応すべきかを考える際にも、統治機構の構造を理解することが必要となります。
行政に対する規制や監視がなされる仕組みには大きく分けて、「行政府に対する外からの規制」と、「行政府内部における審査・監視機関」の2種類がありますので、順番に見ていきます。
第1 行政府に対する、外からの規制
最初に、行政府に対する外部からの規制についてです。
これには、国民による民主的コントロール(黄色い矢印)と、憲法による立憲的コントロール(青色の矢印)の2種類があります。
1 民主的コントロール
国民による民主的コントロールには、国会を通じて間接的に行政府に対して及ぼされるもの(図の①+図の②)と、直接的に行政府に対して及ぼされるもの(図の③)とがあります。
(1)国会を通じた間接的コントロール
ア 国民→国会(図の①)
まずは、国民から国会に対する民主的コントロール(図の①)です。
国民から国会への民主的コントロールとして、もっともわかりやすいのは、選挙です。
しかし、衆議院では、得票数と議席数に乖離が生じる小選挙区制が採用されているうえ、解散権が恣意的に濫用されて与党に有利なタイミングでの解散・総選挙が行われることが続いているために、民主的コントロールが機能しづらくなっています。
もっとも、選挙による民意反映には、もともと限界があります。選挙期間が短いうえ、選挙期間中に争点となっていなかったことが選挙後に国政上の重要問題として浮上することもあるからです。したがって、選挙のとき以外でも、国民が国会(議員)に対して声を届けることは当然可能ですし、重要なことでもあります。憲法16条は、このことを権利(請願権)として保障しています。
イ 国会→内閣(図の②)
次に、国会から内閣に対する民主的コントロール(図の②)です。
こちらについても、憲法の規定に基づく国会の開催要求や、参議院規則に基づく委員会開会要求にすら応じない異常事態がまかり通ってしまっています。
また、開催・開会されたとしても、質問をはぐらかしたりごまかしたりしてまともに答えない(ご飯論法)、総理の答弁を受けて文書を改ざんする(「森友」財務省文書改ざん問題)、総理の答弁にあわせてきらかに虚偽の答弁をする(検察官の定年延長問題等)、野党議員の質問に対して総理自らヤジをとばす等、内閣の対応があまりにひどいため、民主的コントロールが及びづらくなっています。
その要因の一つは、与党議員が本来の役割を果たしていないことにあります。本来であれば与党議員も「全国民の代表」として、内閣に対してコントロールを及ぼすべき立場にあります(図の上側)。しかし、実際には、内閣をアシストする役割を果たしている状態です(図の下側)。そのことによって、コントロールする側の力が弱まり、コントロールされる側の力が増しているので、コントロールが効きづらくなっているのです。
そんなの昔からそうだったんじゃないの?と考える方もいらっしゃるかも知れません。確かに、そうした傾向は多かれ少なかれ以前からありました。しかし、以前の自民党は派閥の領袖等が大きな力を持っていて、総理・総裁といえどもそうした議員の意向を無視することはできませんでした。
しかし、安倍総理は、小選挙区制のもとで重要性を増した選挙の際の公認や党内人事等の「総裁としての権限」と、閣僚人事等の「総理としての権限」を恣意的に行使することによって党内の異論を封じ込め、与党議員を国会の採決要員に過ぎないかのような状態においています。このようなことはこれまでにはありませんでした。「安倍一強」と称される所以です。
(2)直接的に及ぼされるコントロール
上記のように、内閣に対する間接的なコントロールが及びにくくなっているため、直接的なコントロールの重要性が相対的に高まっています。
直接的なコントロールとは何かというと、「世論」(図の③)です。
下の図は衆議院のウェブサイトからお借りしたもので、小学校や中学校の社会科の教科書でもお馴染みのものですが、ここにも、国民→行政のところに「世論」と記載されています。
ツイッターなどでは、「選挙で多数の支持を得て選ばれた与党がやろうとすることを批判するのは民主主義の否定だ」といった趣旨のことが声高に叫ばれることもあります。しかし、この図の通り、主権者である国民が行政権を行使する内閣に対して直接的に民主的なコントロールを及ぼすことは当然に予定されています。上記のようなツイッター投稿は、民主主義に対する無理解を示すものと言えるでしょう。なお、国民→国会のところで書いたのと同様に、国民は行政府に対しても請願権(憲法16条)を行使することができます。
(3)民主的コントロールの回復に必要なこと
ア 制度や運用の改善・改良
このように、行政府に対する民主的コントロールは、国民→国会という段階でも、国会→内閣という段階でも、それぞれに問題を抱えています。
国民→国会の段階では、解散権の濫用的行使を許さないことや、民意が適正に反映される選挙制度への改正等が必要です。
国会→内閣の段階では、国会の議論を活性化させ、言論の府としての機能を回復することが必要です。
イ 世論の力
こうした制度の改正や運用の改善・改良を実現するための最大の力は、世論の高まりです。
解散権が濫用的に行使された場合にも選挙で与党が勝てば、濫用的行使は繰り返されます。また、相対的に多数の議席を持つ政党は、自身に有利な選挙制度を変更することには応じないでしょう。そして、国会の召集要求に応じなかったり、不誠実で中身のない答弁を繰り返していても、政府の支持率が下がらなければ政府の対応が改まることはないでしょう。
しかし、解散権の濫用的行使に対する批判から選挙で議席を大幅に減らせば濫用的行使はしづらくなります。また、次の選挙で大敗北しかねないという情勢になれば、政権交代しやすい小選挙区制とは別の制度に変更することが検討されるかもしれません。そして、国会での不誠実な対応に批判が巻き起こり、政府の支持率が低下すれば、対応が改善されることにつながります。
世論をどうやって高めるかについては、次回のブログで検討したいと思います。
2 立憲的コントロール
行政府に対しては、民主的コントロールとは別に、憲法による立憲的コントロールも及ぼされます。
(1)憲法→内閣(図の④)
憲法の行政に対するコントロールとしては、憲法99条の憲法尊重擁護義務を指摘することができます。内閣総理大臣を含む国務大臣や、官僚もこの義務を負っています。
しかし、今の政府は、憲法の解釈をねじ曲げたり(集団的自衛権行使容認の閣議決定)、自らの手で憲法改正を成し遂げたいと述べたり、憲法に基づく国会開催要求を無視したりする等、憲法を軽視・無視することを繰り返しており、まったくこの義務が果たされていません。
(2)裁判所→内閣(図の⑤)
裁判所は内閣が行う命令・規則・行政処分が適法であるかどうかを審査する権限を有しています。ここで言う「適法」性の審査には憲法適合性の審査も含まれますので、この権限を行使することも立憲的コントロールの一つということができます。
しかし、日本では付随的審査制が採用されているため、裁判所は具体的な事件が係属した際に、その解決に必要な範囲でしかこの権限を行使することができません。裁判が提起されていないのに、裁判所の方から「この行政処分は違憲である」といった判断を積極的に示すことは、制度として認められていないのです。
また、裁判所は、法律や行政処分の憲法適合性審査については、極めて消極的な姿勢を採っており、極力憲法判断に踏み込まないようにしています。
(3)立憲的コントロールの回復に必要なこと
立憲的コントロールについても、憲法→内閣という点でも、裁判所→内閣という点でも、それぞれに問題を抱えています。
憲法→内閣の点については、民主的コントロールにおけるのと同様に、義務違反があった場合に批判的世論が高まることが、憲法尊重擁護義務を果たさせる力となるのではないかと思います。
裁判所→内閣の点については、現行の付随的審査制を変えドイツのような憲法裁判所を設けてはどうかという提案もなされています。そのためには憲法の改正が必要となります。ただ、三権のバランスを大きく変えることになるので、慎重な判断が必要ではないかと思います。
現行制度のもとでも憲法適合性審査に消極的な運用が改まれば立憲的コントロール機能は回復できるでしょうし、まずはその運用が改まらないと憲法裁判所創設の適否についても判断しづらいようにも思われます。
第2 行政府内部での審査・監視
行政府の内部にも、内閣から独立した立場で、審査・監視を行う機関があります。
こうした機関が置かれた趣旨は、第一に、権力が集中してしまうと恣意的・濫用的に行使されてしまいがちであることから、権限を分けることによって抑制を及ぼすという点にあります。
また、現代では社会が複雑化・高度化するのに伴い、行政にも複雑かつ多様な役割が求められます。このため、それに対応できるだけの規模の組織と、専門的な知識や経験に基づく判断が必要となります。こうした専門的判断が歪められることのないように、独立性が保障されている機関もあります。
しかし、安倍政権になって以降、こうした機関の独立性が損なわれる事態が続いています。
1 内閣法制局
(1)所管事務
内閣法制局の所管事務には様々なものがありますが、とりわけ重要なのは「審査事務」と呼ばれるものです。法律をつくる前の段階で、法案が憲法に抵触するものとなっていないか、既存の法律と矛盾がないかを審査するというものです。このため内閣法制局は、法律ができた後に違憲審査を行う裁判所とともに、「憲法の番人」と呼ばれてきました。
(2)破られた人事慣行
内閣法制局では以下のような人事慣行が確立しており、長らくこれに基づく人事が行われてきました。
- 各省庁から参事官以上を出向で受け入れる
- 法務省、財務省、総務省、経産省、農水省の5省の出身者だけが局長級以上の幹部になることができる
- 法務省、財務省、総務省、経済産業省の4省の出身者だけが、第一部長→法制次長を経て長官に就任できる
しかし、2013年8月、安倍内閣は、それまでの慣行を破って、法制局勤務経験がない外務省出身の小松一郎氏を長官に任命しました。
(3)「今は亡き」
小松長官のもとで、従来の憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を認めるための検討がなされ、2014年7月1日の閣議決定へと結実しました。
確立された憲法解釈を無理やり捻じ曲げたことに対し、元最高裁判事の濱田邦夫氏は中央公聴会で「今は亡き内閣法制局」と痛烈に批判しました。この言葉通り、現在では、「憲法の番人」としての役割は期待できなくなってしまっています。
2 会計検査院
(1)権限
会計検査院は、国会、内閣、裁判所という三権に対しても、「会計検査」という形で公権力を行使できる特殊な行政機関です。また、国会の要請があれば、個別の事項について調査する権限も有しています。
(2)独立性、専門性
その職務の重要性から憲法90条に明記されており、内閣から独立的な地位を有する機関です(会計検査院法1条)。
そして、実際に調査にあたる調査官には、研修・試験に加えて一定の実務経験を積んだエキスパートでないとなることができないとされています。
(3)森友問題で
森友学園への国有地売却にあたり、「売却価格を8億円値引きしたことが不当ではないか」が問題となった件で、会計検査院が調査を行いました。専門性を発揮して事実を明らかにすることが期待されていましたが、「値引きの根拠は不十分」というあいまいな報告がなされるにとどまりました。
その後、財務省が決裁文書を改ざんしていたことが明らかとなりましたが、会計検査院も決裁文書の改ざんの事実や、改ざん前の原本の存在を知りながら、改ざんされた文書を対象に検査していたことが判明し、独立性が損なわれている実態が露わになりました。
3 検察庁
(1)権限
検察は、刑事事件の捜査・起訴を行う権限を有しています。
捜査・起訴の対象には、ときの権力者も含まれており、権力犯罪を摘発することによって、権限行使の適正化を図ることが期待されています。検察はこのような準司法的役割を果たす側面も有していることから、「社会の公平・公正を守る砦」と言われることもあります。
(2)独立性
検察庁が上記の権限を適切に行使するためには、政治権力から独立していることが必要です。
内閣は検事総長や検事長の任命権を持っていますが、従来は独立性への配慮から、検察当局の人事方針を尊重し、これを追認する形で任命権を行使してきました。
(3)黒川検事の定年延長問題
安倍内閣は、今年1月31日の閣議で、東京高等検察庁の黒川弘務検事長の定年を半年間延長することを決めました。検察庁法には定年延長の規定がなく、これまでに検察官の定年が延長されたことはありません。このため、これまでは検察官には適用されないとされてきた国家公務員法の(定年延長)規定を検察官にも適用するという「法解釈の変更」を行ったのです。
この定年延長は、安倍政権下で長らく官房長や法務事務次官を務めた黒川氏を検事総長に据えるための決定なのではないかと指摘されています。いずれにしても、検察当局の人事方針を尊重してきたこれまでのスタンスとは異なり、内閣が積極的に検察の人事に介入していることは紛れもない事実です。
(4)検察庁法の改正
さらに政府は、今国会に検察庁法改正案を提出しています。
この法案には、検察官の定年年齢引き上げとともに、「役職定年制」の導入が盛り込まれました。「役職定年制」というのは、役職定年年齢(63歳)に達した検察官は、高検検事長や地検検事正等の役職に就けないというものです。但し、これには例外があります。「内閣が定める事由があると認められるとき」には1年を超えない範囲で引き続き役職に就くことができるとされているのです。さらにこの期間を「内閣が定めるところにより」再延長・再々延長することができるという規定も盛り込まれています。
つまり、検察官は役職定年年齢の63歳に達したときに、原則としてヒラの検察官に戻るのですが、内閣の意向次第で例外的に役職にとどまることができるということになる訳です。これは非常に露骨な人事介入と言えます。このような制度のもとでは、検察に権力犯罪を摘発する役割を期待することはできなくなってしまうのではないかということが懸念されます。
4 人事院
(1)権限
人事院は、国家公務員の人事管理を行います。といっても直接の任命権を持っているのは大臣ですので、人事院が直接任免を行う訳ではありません。任命の基準を定めたり、人事管理の総合調整を行ったりすることを通じて、人事管理が適正・公平に行われるようにしています。
また労働基本権制約の代償措置として、公務員の勤務条件について勧告を行うこともあります。
(2)独立性
公務員は、「全体の奉仕者」であり、職務の遂行にあたっては中立・公正性が強く求められます。また、行政の継続性と専門性を確保するためには、能力主義・実績主義が徹底される必要があります。そこで、国家公務員の人事管理が能力主義に基づいて中立・公正に行われるようにするために、人事院には強い独立性が保障されています(国家公務員法3条)。
人事院は、人事官3人により構成される合議制の機関です。人事官は、「人格が高潔で、民主的な統治組織と成績本位の原則による能率的な事務の処理に理解があり、かつ、人事行政に関し識見を有する35歳以上の者」の中から、国会の同意を経て、内閣により任命されます。
(3)検察官の定年延長問題で
しかし、検察官の定年延長問題で、人事院幹部が安倍総理の虚偽答弁にあわせて答弁を変更したり、人事院総裁が国家公務員法の解釈変更を行った会議の議事録を残していないと述べる等したことで、既に独立性が失われてしまっていることが明らかとなりました。
5 行政内部の審査・監視機関の独立性を回復するために必要なこと
現政権になって以降、内閣からの独立性が保障されているはずの行政機関が次々に支配下に置かれています。
独立性が保障されたのは、権力濫用の抑制や専門的判断の必要性に基づくものですから、独立性が失われれば、権力の濫用に歯止めがかからないだけではなく、専門性が発揮されなくなってしまうことにもつながります。
該当する行政機関の方々には高度な職業倫理を発揮して職責を全うしていただきたいと思いますし、私たちもそうした方々をしっかり支えなければならないと思います。
特に、検察庁法の改正については、現在進行形の大問題です。検察が政権幹部の違法行為・犯罪行為を取り締まれないようになれば、完全に法治国家ではなくなってしまいます。
おわりに
以上見てきた通り、行政府に対する外部からの規制が及びづらくなっているうえ、行政府内部での審査・監視機関もことどとく機能不全に陥っています。このため、政権が民意を無視しても、憲法や法律に違反する政治を行っても、ほとんど歯止めがかからなくなってしまっています。
これは、住宅で言えば、照明器具が壊れたとか、壁紙が破れたとかいうレベルの問題ではありません。構造計算に関わる柱や梁が腐ったり、基礎のコンクリートにヒビが入ってしまっているようなもので、大変危険な状態です。
行政権は社会のあらゆる分野に及びます。それが適切に行使されなければ、私たちの財産や健康、場合によっては命すら脅かされることになりかねません。
こうした危険な状態であることを正しく認識し、その認識を広めていくことが重要だと思います。