主権者教育の授業に関するSNS上でのやりとり


上越高校で行った主権者教育の特別授業について報告ブログをアップしたところ、友人の全国紙記者(永田篤史)さんがSNS上でコメントを寄せてくれました。私と永田さんとのやりとりを見た別の友人が、「この内容をそのままブログにアップして多くの人が見られる状態にしてみては」と提案してくれたので、永田さんの了解も得て、ブログにまとめてみました。

上越高校での授業の報告ブログとあわせてご覧いただければ幸いです。


(永田篤史)
若いうちに「ルールは変えても良いんだ」という視点を伝えることはとても大事ですね。

(田中淳哉)
永田さん、コメントありがとうございます!
ルールは「守る」か「破る」かのどちらかしかないと思っている子が多かったのか、「変えてもいいんだ」という話は割と新鮮に受け止めてもらえたように感じました。学校生活ではあまり触れることのない発想だったようです。


田中 淳哉 さん、僕の子供時代を思い返しても、「ルールは変えても良い」というのは教わった記憶があまりありません。
「ルールは変えても良い→国会議員は法律というルールを作れる(変えられる)立法者で、それは僕ら国民が選挙で選べる」という構図が分かると、選挙への意識も変わってくるかも、ですね。


子ども時代ということについては、私も同じです。
ルールは変えてもいいんだということを教えてしまうと管理しづらくなってしまうからなんでしょうね。実際、校則の問題を授業で取り上げることに難色を示す学校も多くあるようです。上越高校の先生方はとっても理解があり協力的でありがたかったです。
授業のなかでは、今回の話を選挙と結びつけることをあえてしませんでした。自分で考えたら自然につながるだろうなと思ったのと、「なんだ結局選挙に行きましょうっていう話か」と捉えられてしまうのがイヤだなと思ったのがその理由です。永田さんがおっしゃる通り、構図を理解することで選挙に対する意識が自然に変わってくれたらいいなと思います。


田中 淳哉 さん、なるほど。
確かに、その辺りはその場の空気感を見ながら伝える際に心遣いが必要となる部分なのかもしれないですね。
僕も「校則の問題を授業で取り上げると、管理しづらくなるから、学校は難色を示さないかな?」というところは気になったところです。先生方と生徒との間に信頼関係がないとできないことかな、とも思いました(この「信頼関係」というファジーなものはオフラインでの交流なくして生まれづらいのでは、と思うのですが、ここがコロナ期の課題なのでしょうね)。
確かに「結局、選挙に行きましょうっていう話か」ととらえられると、醒めてしまう生徒はいると思うし、たぶん、高校時代の僕はそっちのタイプだったように思います😎
一方で、そこまで伝えないとピンと来ない人もいるでしょうから、そこもその場の空気を読まないと、「授業は生き物」で、やり方が難しいところなのでしょうね。


そうですね~。「信頼関係」という言葉で表される要素の中でも、「先生の生徒に対する信頼」があるかどうか、もっと言うと「先生が生徒を権利主体として見ているかどうか」によるのだと思います。
「結局選挙に行きましょうっていう話か」については、私もさめてしまうタイプだったと思うんですよね。だからしたくないな~と思った訳なんですが。そして、ピンとこない人がいてもそれはそれでありというか、ルールは変えてもいい、おかしい校則は変えた方がいいという、文字通りの意味で捉えてくれれば十分目的は達しているかなとも思っています。


田中 淳哉 さん、なるほど!確かにそうですね。
そう。「先生が生徒を権利主体として見ているかどうか」というのは実は、盲点かも。僕は大学で教職課程を取りましたが、教わった記憶がないので、自分でその認識を持たないといけない。
でも、パターナリズムで、「生徒は子供」みたいに考えてしまう部分もあるかも。
教師だけに当てはまらない話かもしれませんが、自分が何かを伝える立場の際には、「自分はしっかりと相手と向き合っているのか」ということを突きつけられるのだ、という気持ちになりました。


永田さん教職をとってたんですね!
「生徒は子ども」と考えること自体は場面によりけりでそれほど問題ではないと思うのですが、子どもにも権利があるということを忘れてしまうと問題がでてきてしまうと思います。子どもを「権利の主体」ととらえるか、「管理の客体」ととらえるかが大きな違いなんだと思います。
福岡県弁護士会が校則に関する調査をしているのですが、校則に基づく取り締まりの実態がほんとに酷くて、取り締まること自体が自己目的化してしまっているように感じます。最初はルールを守ることの大切さを教える、身に付けてもらうという発想だったのかも知れませんが、守らせることが至上課題にすり替わってしまったのでしょうか。
先生自身が自分の権利を保障されていないことの反映なのかも知れませんが、学校は閉鎖的で狭い社会なのでなかなか是正されないうえ、影響が強くでてしまうので深刻な問題だと感じます。


田中 淳哉 さん、福岡県の話、いやはやすごいですね。
確かに、教員の友人もいますが、本当に大変そうで、おそらく教育委員会からも保護者たちからも色々と言われて、先生自身が自分の権利を保障されていないから、こういうふうに、なってしまうのかもしれませんね。
日本はどんどん息苦しくなっている感がありますが、みんながもう少し自由に、自主性を持って伸び伸びと生活できるようにしたいし、その意味でも上越高校のお話は明るい兆しだな、と感じます。


そうですね。たぶん根が深い問題なので批判だけしていても解決はおぼつかないのだと思うのですが、深刻なのでゆったり構えてもいられないというのがなかなか悩ましいところです。
福岡のように調査したところは実態が表にでてきますが、全国どこも似たような話があるのではないかと思いますし。。。
現場で奮闘する先生と、スクールロイヤーなどの「外部」のサポートがうまく連携できるとよいのかも知れません。それとても簡単な話ではないですが。


田中 淳哉 さん、おっしゃる通りですね。
じっくりと構えないと根っこからの解決は難しいかもしれないけれど、悠長に構えてもいられないし、福岡以外でも起きていることでしょうね。
一歩一歩やれることをやりながら、活路を切り開く形になるのでしょうね……。