民主主義と立憲主義(後編)


前編の続きです。

第5 現政権下で噴出する諸問題

それでは、冒頭で触れたような諸問題は、これらの基本原理との関係でどのように位置づけられるであろうか。

1 秘密保護法、安保法制、「共謀罪」法など

  秘密保護法、安保法制、「共謀罪」法などは、多くの反対や懸念の声を押し切って、成立させられた。これらの法律に関しては、大別して手続(民主主義)と、内容(立憲主義)の2つの点で問題を指摘しなければならない。

(1)手続の問題~納得を得ようという姿勢の欠如

まずは、手続の問題である。

ア 反対を押し切って強行採決

安保法制でも、「共謀罪」法でも、国会審議において政府側が答弁不能に陥ることが度々繰り返された。また、世論調査では、反対、あるいは慎重な審議や丁寧な説明を求める声が多数を占めた。反対の声は、国会前や官邸前、さらには全国各地の路上にも溢れた。国民の多くが納得していないことは明らかであった。

しかし、与党は「事前に設定した審議時間を過ぎたから機が熟した」などとして、「強行採決」に踏み切った。国会審議を重ねれば重ねるほど世論の反対が大きくなることを見越してのものであった。
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イ 間接民主制のもとで「納得」を得るために必要なこと

先ほども述べた通り、わが国では間接民主制を採用している。国民が代表者(国会議員)を選出し、その国会議員の中から行政府の長である内閣総理大臣が選出される。行政府に対する民主的コントロールは、国会を通じて間接的に及ぼされる仕組みである。

国民が国会議員を選出する段階でも、国会議員の中から内閣総理大臣を選出する段階でも、多数決が用いられている。このため、どうしても多数派の意向ばかりが重視されがちとなる。また、小選挙区制の下では、国民の声と国会の議席数は必ずしも一致しないという問題もある。そうであるからこそ、行政府には国会の少数派への配慮が求められるし、国会審議を通じて、少数派の理解を得たり、意見をくみ取ったりすることが必要となる。国会審議は、少数派の納得を得る貴重な機会なのだ。

政府がとるべき途は、国会での議論を通じて、主権者である国民の納得が得られるまで「丁寧に説明」するか、法案を取り下げるかのいずれかしかないはずであった。ところが、政府は説明を放棄し、反対の声を無視して、苦渋の選択であるはずの多数決に踏み切った。

これでは、国会審議で形式的な多数決を行っただけであり、少数派の意向は反映されようがない。当然のことながら、納得も得られない。民主主義の本質的な要請にはまったく応えていないやり方であり、強制力の根拠や正当性に欠ける法律が作られたとも言えるであろう。

(2)内容の問題~自由や権利を侵害するものであること

次に内容の問題である。

ア 秘密保護法

「秘密保護法」は、本来であれば主権者である国民に当然知らされるべき情報のうち、政府にとって都合の悪い情報を秘密指定し、それを調べようとした者を処罰することを可能にする法律である。

実際にこうした運用がなされれば、報道機関の報道の自由や、国民の知る権利が不当に侵害されることとなる。これらの自由や権利は、前述した通り、みんなで間違えないようにするうえで、重要な意義を有するものである。

自由や権利を不当に侵害される当該個人を尊重しないというにとどまらず、結果的にみんなで間違える事態を招きかねないという点でも問題が大きい法律といえる。

イ 安保法制

「安保法制」は、自国に対する武力攻撃が存在しない場合でも武力行使することを可能にし、実質的に武力行使と異ならない後方支援を広く認めている。

平和であることは、個人が尊重される前提であるし、戦争や軍隊は個人よりも国家や全体が優先される点で、個人の尊重とは相容れない。

政府の独断で戦争に参加することを可能にするこの法律は、憲法の基底的価値である個人の尊重を脅かすものといえる。
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ウ 「共謀罪」法

「共謀罪」法は、表現の自由や、内心の自由を侵害し、運用の仕方次第でプライバシーを侵害するおそれが高い法律である。

この法律も、直接自由や権利を侵害される当該個人を尊重しないものであると同時に、みんなで間違えないようにするうえで重要な意義を有する表現の自由を侵害する点で問題が大きい。

2 公文書の改ざん、隠蔽、データ偽装等の問題

(1)個人が行政権行使のあり方を確認・監視する術が失われる

財務省の決裁文書が、官僚の国会答弁にあわせて改ざんされたとされている。また、PKOの日報開示請求に対し、実際には記録が残されていたにもかかわらず、廃棄したため不開示との決定がなされた問題も起こっている。

公文書は、「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」(公文書管理法1条)であるとされている。行政権が、みんなの意思に基づいて行使されているか、少数派の意向もふまえた行使がなされているかを確認する手段となるからである。

国民は、公文書の内容を確認し、表現行為を通じて事実を知らせたり、問題点を指摘したりすることで、行政権行使のあり方に自らの意思を反映させることができる。こうしたことは、みんなで間違えてしまわないための担保でもある。

公文書を、行政府の都合次第で開示しなかったり、内容を書きかえたりすることがまかり通ってしまえば、行政権行使を確認・監視する術は失われてしまう。

(2)国会を通じた間接的なコントロール

これらの問題は国会でも取り上げられた。財務省の文書改ざんでは、官僚の虚偽答弁が改ざんの発端とされており、PKOの日報隠蔽に関しては、防衛大臣が客観的事実と異なる答弁を行っている。また、裁量労働制に関するアンケート結果が行政に都合良く偽装されていた問題もあった。

政府ぐるみなのか、官僚レベルだけの問題なのかは必ずしも明らかになっていない部分もあるが、国会の行政に対するコントロールが機能していないことは間違いない。少数派の理解を得たり、意見をくみ取ったりする貴重な機会であるはずの国会審議が行政の意向により歪められてしまえば、民主主義は成り立たない。

PKO日報隠蔽問題では、防衛大臣の防衛省や自衛隊に対する、行政内部のコントロールすら及んでいなかった可能性がある。コントロールの及ばなかった対象が最強の実力組織である自衛隊であることを考えれば空恐ろしい事態である。

3 根底にあるもの

現政権下では、以上で指摘したこと以外にも、民主主義や立憲主義に反する問題がいくつも噴出し続け、「底が抜けた」とも評される状態である。

こうした問題が頻発する背景には、「選挙で勝った以上は何をしてもよいのだ」、「国会であろうと、憲法であろうと、多数派から支持を獲た自分を制約することはできない」という安倍総理自身の「誤解」があるのではなかろうか。

以下に引用する数々の言動は、安倍総理が民主主義や立憲主義に対する基本的理解を欠いていることを如実に物語っている。

(1)民主主義に対する基本的理解の欠如

2017年7月1日東京都議選のさなかに発せられた「こんな人たち」発言は、少数意見を邪魔者と捉える発想が発露したものと言えよう。この発言からは、少なくとも、安倍総理が「対話」を通じて少数派の納得を得ようとの発想など微塵も持ち合わせていないことが見て取れる。

また、安倍総理は国会答弁で、自党の支持率が野党の支持率よりも高いことを引き合いに出すことがある。「多数派」の支持を得ていることをことさらに誇示するこのような発言からは、やはり少数派の納得を得ようとの姿勢は窺われない。

(2)立憲主義に対する基本的理解の欠如

国会答弁で登場した「(立憲主義は)王権が絶対権力を持っていた時代の考え方だ」との発言も、多数派の支持を得た権力に対しても憲法の制約が及ぼされることを知らないのではないかとの疑念を抱かせるものだ。

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第6 おわりに

わが国では、選挙によって一時的・瞬間的な「多数派」から支持を得ることに至上の価値をおき、少数派の納得も、人権も、さらには憲法ですらも顧慮しない権力者によって、近代以降積み上げてきた基本的ルールがことごとく無視され、破壊されようとしている。民主主義や立憲主義が軽んじられたこの国家は、ルールを作る人々とルールを守る人々の距離を広げ、力によって強制的にルールに従わせようとした時代へと後戻りをはじめている。その先に待ち受けているのは、個人の尊重を至上価値とする国家像の崩壊である。それがこれらの問題の本質である。

ただ、現状を自分以外の誰かの責任にすることはできない。主権は国民にある。憲法は、個人の尊重を基底的価値とするものであるが、ただあるだけでは、本来の価値や力を発揮することはできない。権力者が民意や憲法を無視して暴走しているとき、憲法を守らせるのは私たち国民なのだ。