つれづれ語り(子育てのグラデーション)


『上越よみうり』に連載中のコラム、「田中弁護士のつれづれ語り」。

2019年4月3日付に掲載された第56回は、「子育てのグラデーション」です。
何事もそうですが、「実際のところ」を知らないでとられる対策は、本当の意味での解決にはつながらないと思います。

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子育てのグラデーション

新年度が始まりましたね。

我が家では、今年度二男が小学校に入学するため、家族全員の生活スケジュールの総見直しが必要となり、先日、夫と30分くらいかけて、生活スケジュール、家事・育児分担の見直しを行い、各自の手帳に詳細にメモし終えたところです。これをやっておかないと、「あれ?長男の習い事のお迎えはパパが行ってくれるはずじゃなかったっけ?」などの混乱や「なんか急に私の負担ばかりが大きくなってない?」という不満が生じやすくなるからです。それを避けるためには「朝一番に洗い物カゴの中に山盛りになっている乾いた食器を棚にしまうのは誰の役割か」というところから決めるのが大切なのです。ちなみに、これは昨年度までは夫の仕事でしたが、今年度は私がこれをやることになり、そのかわりに夫は夜のうちに自らタイマーをセットしておいた洗濯機から洗濯物を取り出し干すことから朝の一日が始まることになりました。

さて、話題は変わって、現在、政府は、児童虐待防止法などを改正して、親の体罰禁止を定める方向のようです。痛ましい虐待事件の報道を見れば、誰もが「苦しんでいる子どもたちを何としても救わなければ」と強く感じるはずですし、それは私も同様です。しかし、同時に少しモヤモヤも感じるというのが正直なところです。モヤモヤの理由が何なのか、自分でも正直ハッキリしませんが、「この人、たぶんあまり家事や子育てしてないだろうな。奧さん任せだろうな。」と(失礼ながら勝手に)想像できてしまうような男性議員たちが声高に「体罰禁止」を訴えている図に、ついつい反感を覚えてしまうのかもしれません。

「子育てなんて子ども次第なんだから、『こうすればうまくいく』なんて話はほどんとアテにならないと思った方がいいわよ。」というのは、双子を含む4人の子育てをしてきて、現在11人の孫育てをしている私の母親の台詞です。私も3人の子をもち、子育て歴もかれこれ10年となって、ようやくその意味がわかり始めてきました。子育てに正解はなく、どんなに経験を重ねても、失敗や迷いは常につきものだし、完璧な親になんてなれない。「こうすればいい」も「こうしてはいけない」も結果論であって、現在進行中の子育ては常に暗中模索です。努力や試行錯誤、後悔や自己嫌悪を何度も行ったり来たりしながら、子どもの成長や可愛い寝顔に励まされて必死に頑張っているというのが全ての親なのではないでしょうか。そのような中で、「体罰をする親」と「体罰をしない親」は白と黒のようにはっきり別れているわけではなく、グラデーションのように分布しているというのが実際のところでしょう。どこで線引きをするのでしょうか(怒鳴るのも体罰?)。そこもモヤモヤの理由かもしれません。