つれづれ語り(思いをつなげて)


『上越よみうり』に連載中のコラム、「田中弁護士のつれづれ語り」。

2019年12月11日付に掲載された第73回は、「思いをつなげて」です。
ローマ教皇が被爆地でのスピーチを最終決断するきっかけとなったとされる写真や、その写真が40年以上もの間封印されていたことなどについて書きました。真摯な思いは人の心を動かす力を持っていると改めて感じました。

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思いをつなげて

ローマ教皇のスピーチ

2019年11月24日、ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇が2つの被爆地でスピーチを行った。教皇は、長崎では「ここは核攻撃が人道上も環境上も破滅的な結末をもたらすことの証人である町です」と語り、広島では「ここで、大勢の人が、その夢と希望が、一瞬の閃光と炎によって跡形もなく消され、影と沈黙だけが残りました。」(広島)と語った。そして、「戦争のために原子力を使用することは、現代において、犯罪以外の何ものでもありません。」と強調した。

また、「国際的な平和と安定は、相互破壊への不安や、壊滅の脅威を土台とした、どんな企てとも相いれないものです」、「核戦争の脅威で威嚇することに頼り続けながら、どうして平和を提案できるでしょうか。」と述べて、核抑止の考え方を批判した。

教皇の傍らに置かれた写真

長崎のスピーチでは、演台の傍らに大きな写真パネルが置かれた。長崎市の原爆資料館にいまも展示されている写真「焼き場に立つ少年」だ。

幼子の亡骸を負ぶい紐で背負い、背筋をピンと伸ばして焼き場の縁に立つ少年を写したこの写真は、アメリカの従軍カメラマン、ジョー・オダネル氏が撮影したものだ。オダネル氏は被爆直後の広島や長崎などで、数百枚の写真を撮影したが、そのフィルムを40年以上トランクの中に封印し続けていた。1989年、核廃絶の願いが込められた彫刻像を目にしたことを契機にこの封印を解き、翌年、地元のテネシー州で写真展を開いた。同様の写真展はその後、日本各地でも開催されることとなった。

2017年末にイエズス会修道士からこの写真を送られたフランシスコ教皇は、「戦争がもたらすもの」とのメッセージと自身の署名を添えて、世界に広めるよう呼びかけを行った。この写真は、教皇が2013年の就任以降ずっと温め続けてきた被爆地訪問の夢を最終決断するうえでも、大きな役割を果たしたのだという。

カトリック中央協議会のサイトから

カトリック中央協議会のサイトから

核兵器を巡る世界の状況

核兵器を巡る世界の状況は複雑だ。

2017年7月、核兵器禁止条約が122カ国の賛成により採択された。その後も署名・批准する国は増え続けており、核兵器の禁止・廃絶に向けた動きは大きく広がっている。他方、これと逆行する動きもある。アメリカは昨年2月に「核態勢の見直し」を公表したのに続いて、今年6月、戦闘中の核兵器使用を想定した指針を作成した。さらに今年8月には、中距離核戦力(INF)全廃条約の失効後まもなく、地上発射型巡航ミサイルの発射実験を行った。ロシアや中国は、これに対抗する動きをすすめている。

「原子爆弾の出現は、(中略)重大段階に到達したのであるが、識者は、まず文明が戦争を抹殺しなければ、やがて戦争が文明を抹殺するであろうと真剣に憂えている」。1946年11月3日に、内閣が出版した『新憲法の解説』の中の一節だ。戦争が文明を滅ぼすのか、それとも文明が戦争を滅ぼすのか、人類は今後どちらの滅亡へと向かうのだろうか。

過ちを繰り返さないために

フランシスコ教皇はスピーチで「この理想(核兵器から解放された平和な世界)を実現するには、全ての人の参加が必要です。個人、宗教団体、市民社会、核兵器保有国も、非保有国も、軍隊も民間も、国際機関もそうです。」と呼びかけた。

過ちを二度と繰り返してはならない。彫刻家から従軍写真家へ、従軍写真家から教皇へとつなげられた思いが、被爆地から世界に向けて発信された。それをしっかりと受け止め、行動していくことが、私たち一人一人の責任だろう。

 


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