つれづれ語り(防衛費を増やせば安心か)


『上越よみうり』に連載中のコラム「田中弁護士のつれづれ語り」。

2018年12月19日付に掲載された第49回は、「防衛費を増やせば安心か」です。

報道では「専守防衛を逸脱する」との指摘はありますが、それがどうして問題なのかという点について詳しく記載されているものはあまりありません。そこで、抑止力のキーワードである「能力」と「意思」に着目して、「備え過ぎれば憂いを招く」ことになりかねないというコラムを書いてみました。*紙面に掲載された内容に一部加筆しています。

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防衛費を増やせば安心か

新しい防衛大綱

政府は、新しい防衛大綱と、中期防衛力整備計画を閣議決定した。今後5年間の予算総額を史上最高額の27兆4700億円程度としている。来年度の防衛予算としては、約5兆3000億円の概算要求を既に行っている。

「それで安全・安心に暮らせるなら構わない」との意見もあろう。しかし、事はそんなに単純ではない。2つの根本的疑問がある。

抑止力と専守防衛

1つめの疑問は、必要性に関わるものだ。防衛費増加の理由について「安全保障環境が厳しさを増している中で、抑止力を維持する必要がある」などと言われる。本当にそうか。

抑止力とは、反撃する「能力」と「意思」を示すことによって、相手に攻撃を思いとどまらせる力だ。確かにこれが働けば、安全になるかもしれない。しかし、相手も抑止力を備えようと考えれば、お互いに相手よりも大きな力を持とうとするから、果てしない軍拡競争につながる。その結果、かえって安全保障環境が悪化してしまうというのが、安全保障のジレンマだ。

また、抑止力は、軍備を増強すればその分効きやすくなるというような単純なものではない。抑止力を働かせるためには、ある一線を越えたら反撃されるが、一線を超えない限りは先に攻撃されることはないという「信頼関係」と共通認識が必要だ。そうでなければ疑心暗鬼に陥って「やられる前にやってしまえ」ということになりかねないからだ。

「専守防衛」は、攻撃を受けた際にこれを排除する目的以外には武力を行使しないという政策だ。対外的な「意思」表明はもちろん、実際の「能力」もこれに必要な範囲に制限することによって、「信頼関係」と共通認識が形成されてきた。抑止力を働かせるうえでも、軍拡競争のエスカレートを防止するうえでも役立ってきたものと評価できるだろう。

専守防衛からの逸脱がもたらすもの

ところがこの「専守防衛」を踏み越える装備の導入が、次々に決められている。

攻撃型空母としての運用を事実上可能にする「いずも」の改修とF35Bの導入、F35Aに搭載することで敵基地攻撃能力を有することになるスタンド・オフ・ミサイルの導入、高速滑空弾の導入等である。

表向きは「専守防衛」の看板を維持したままで、実質的にこれを逸脱する兵器を導入すれば、対外的な「意思」表明と実際の「能力」との間に齟齬が生じることとなる。表明されている「意思」を上回る「能力」を備えることは、ある意味で最悪の取り合わせである。周辺国との「信頼関係」を損ね、軍拡競争がエスカレートしたり、抑止力がはたらきにくくなったりすることが懸念される。

安全・安心のための防衛費増額が、結果的に私たちの安全を脅かすことになりかねないのだ。

深刻な財政危機

2つめの疑問は、財政危機との関係だ。国の借金残高は1000兆円を超えている。また、兵器購入ローンの残高は、5兆円を突破した。

しかし、安倍総理は国会で、1986年に撤廃されて以降も事実上強く意識されてきた「防衛費1%枠」について「GDPの1%以内に防衛費を抑える考え方はない」と明言し、GDP2%目標を掲げるべきとの自民党提言について「しっかり受け止めたい」と答弁している。

限られた財源を防衛予算に優先的に割り振れば、社会保障・医療・教育など生活に直結する分野の支出が削られるとともに、さらなる増税がなされることは必至だ。この点からも、いまの路線は、安全・安心な暮らしにはつながらない。

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そもそも、人口急減・超高齢化社会で、人的にも物的にも経済的にも減少・後退傾向にある日本が、経済大国の中国と軍事的に張り合う路線をとることは合理的な選択といえるだろうか。現実をリアルに直視したうえでの、賢明な判断が求められている。