つれづれ語り(8月15日に想うこと)


『上越よみうり』に連載中のコラム、「田中弁護士のつれづれ語り」。

2018年8月15日付に掲載された第40回は、「8月15日に想うこと」です。
「津波てんでんこ」などの災害伝承との対比で、戦争や憲法について語っています。

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8月15日に想うこと

今日は8月15日。 終戦記念日です。

みなさんどのようにお過ごしでしょうか。

今年も各地で戦没者の追悼行事や平和を願うイベントが開催されています。それらに参加する方もいらっしゃるでしょう。お盆の時期ですから、家族や親戚と楽しく過ごしながら、ご先祖さまに思いを馳せ、この平和や幸せがずっと続くようにと願う方も多くいらっしゃると思います。

私は、子どもの頃のこの時期、親が観るともなしにつけっぱなしにしていたテレビの前で、各局が朝から晩まで流す白黒の戦争フィルムの特番をボーッと観ていた、という記憶があります。爆撃機から次々と投下される爆弾や、キノコ雲、玉音放送を聞く人々の映像など、毎年毎年必ず観る映像というのがありました。「ああ、今日は戦争が終わった日なんだ。特別な日なんだな。」と自然と感じとったものです。

いつごろからでしょうか。そういう番組をあまり見かけなくなったのは。意識して子どもたちに伝えない限り、おそらくうちの子たちは何も考えないまま今日という日を過ごしてしまうでしょう。子どもだけでなく、若者や大人も、そんな風に過ごす方が増えているように思います。戦争による悲惨な出来事を決して忘れず、「戦争は絶対に起きてはならない」というメッセージを次の世代に伝え続けていく。このことは、数十年前に比べて格段に難しくなっているように思います。

戦争や軍事といったものに対して肌感覚としての忌避感や警戒感を抱けなくなった後の世代が、無自覚のうちに戦争の犠牲にならずに済むような仕組み作りが今後ますます必要になってくるのではないでしょうか。

少し話は変わりますが、東日本大震災に伴い発生した三陸地方の津波では、多数の方が被害に遭いました。このとき、三陸地方で古くから伝えられてきた教訓「津波てんでんこ」を平時から学び、実践した岩手県釜石市の児童・生徒の多くが津波から無事に避難することができたという話は有名です。

過去に自然災害で大きな被害に見舞われた地域には同じように,災害の顛末や教訓などを唄や民話、石碑など様々な形で残して後の世代に伝える「災害伝承」が存在しています。

人には、正常化の偏見=「自分は大丈夫という思い込み」があり、自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過小評価したりしてしまうという特性があるといいます。そのため危機が迫っていても備えようとせず、気づいたときには手遅れとなってしまうのです。災害伝承は、災害の風化や正常化の偏見などによって、後の世代が合理的な判断ができなくなることを見越して、あらかじめ、どういった場合にどういう行動をとるべきかを明確・単純化して示しておくことに意義があります。そうすることで、後の世代の人々を守ろうとしてきたのです。

「憲法9条を守ろう」という訴えは、この災害伝承に似ていると感じます。災害伝承と同じく、戦争体験を持つ方々のこの言葉の背後には、様々な記憶、痛み、想い、願いが込められています。しかし、時代とともに、そういったものはだんだんと受け継がれずに薄まり、ただ言葉だけが残っていく。その意味を正しく理解できる人も減っていくのでしょう。釜石市のように、平時からその教訓を学び、実践していかなければ、被災者の想いは無駄になってしまうのです。

私たちは、73年前の戦争被災者の方々から、どんな教訓を学びとり、次の世代へと受け継いでいくことができるのでしょうか。