『上越よみうり』に連載中のコラム、「田中弁護士のつれづれ語り」。
本日付朝刊に掲載された第29回目は、「安保法裁判」で明らかになったこと、です。
その時々で都合良く主張を使い分けていたのでは、「抑止力」も働きようがないと思います。
「安保法裁判」で明らかになったこと
存立危機事態の発生は想定できない?
現職の自衛官が、違憲の安保関連法に基づく防衛出動命令に従う義務はないことの確認を求めた裁判において、被告となった国が、存立危機事態の発生は具体的に想定できない(から訴えの利益はない)との主張を行っていたことが、わかった。
存立危機事態とは、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態」をいう。政府は、この要件があることで、集団的自衛権の行使が限定されることを強調していた。
危機が迫っているのではなかったのか
政府は、「我が国を取り巻く安全保障環境は厳しさを増している」という抽象的なフレーズを繰り返して安保関連法の必要性を強調し、多くの国民の疑問・不安の声や、野党の反対を押し切って、強行採決により安保関連法を成立させた。
また、小野寺防衛大臣は、昨年夏、グアムが北朝鮮のミサイル攻撃を受ければ存立危機事態にあたりうると国会で答弁し、安倍総理は、北朝鮮問題を「国難」と強調して衆議院を解散した。
いずれも、裁判における国の上記主張とは、整合しない。
相矛盾する2つの主張が示すもの
存立危機事態は、安保関連法の必要性を基礎づける事実(立法事実)として主張されていたのであるから、それが現実に想定しうるものではないのであれば、安保関連法のうち少なくとも事態対処法の改正部分は不要ということになる。速やかに同法を廃止すべきだろう。
また仮に、現実に想定しうるのに、有利な判決を得るために虚偽の主張をしていたというのであれば、司法に対する冒涜であり、許されない。
いずれにしても、政府が相矛盾する2つの主張を場面ごとに都合良く使い分けていた事実が示すのは、存立危機事態にあたるかどうかは政府の意向次第でいかようにでも決められるということである。つまり、この要件は、政府の判断を縛る歯止めとしての機能を果たしうるものではないということだ。
大きく変わった自衛隊
自民党は、いま、自衛隊を憲法に明記すべく、党内で憲法改正原案の調整を進めている。その内容について、現状の自衛隊をそのまま書き込むだけで、任務や権限に変更を加えるものではないとの説明がなされることもある。
しかし、憲法に書き込もうとしている「現状の自衛隊」は、大規模災害で救助活動を行ったり、日本への武力攻撃に備えたりするだけの「従来の自衛隊」ではなく、集団的自衛権に基づき海外で武力を行使することも可能になった自衛隊であることを忘れてはならない。
憲法改正で問われること
集団的自衛権を行使すれば交戦国となり、相手国は日本を適法に攻撃することも可能となる。日本がテロの標的となるリスクも飛躍的に高まるだろう。私たちの生活や生存にも大きな影響を及ぼす問題だ。
存立危機事態の要件が歯止めとして機能しないもとで、政府の恣意的な判断によって集団的自衛権の行使に踏み込むことのないよう縛りをかけているのが憲法である。自衛隊が憲法上の存在となれば、この縛りは完全に解かれてしまうこととなる。憲法改正で問われるのは、この最後の縛りをなくしてよいかどうかということである。