つれづれ語り(憲法改正とインフォームドコンセント)


『上越よみうり』に連載中のコラム、「田中弁護士のつれづれ語り」。

1月10日付朝刊に掲載された26回目は、「憲法改正とインフォームドコンセント」。
医療におけるインフォームドコンセントになぞらえて、国民に十分な情報が提供されるべきことや、専門家の知見をふまえた議論がなされるべきことなどが書かれています。

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憲法改正とインフォームドコンセント

今年は憲法year?

安倍首相は4日、年頭の記者会見で、「今年こそ憲法のあるべき姿を国民に提示し,憲法改正に向けた国民的な議論を一層深めていきたい」と述べ、憲法改正の国会発議に向け意欲を示しました。これを受け報道各社は,今年秋の臨時国会までに発議がされ、来年4月の統一地方選の前までに国民投票が実施される可能性があると報じています。ここ数年、特定秘密保護法、安保法制、共謀罪など違憲性が議論となった法案が次々と成立してきましたが、今年は憲法そのものが大きく論じられる年になりそうです。

他方、各社の世論調査等をみると、多くの国民は、連日報道される北朝鮮の脅威に戦争の足音を感じつつも、拙速な審議で憲法改正が進められることには不安を覚えているようです。

このような状況の中、私たちは憲法改正の動きにどのように向き合っていくべきなのでしょうか。

憲法のインフォームドコンセント

「憲法は国民のもの」、「憲法論議を憲法学者だけのものにしてはならない」。かつて衆院憲法調査会会長を務めた中山太郎元外相はこう述べました。私も同感です。

国民主権の下、憲法について判断し決定する権限をもつのは私たち国民です。医師が患者の同意なくして手術できないように、国は私たち国民の同意なくして憲法を変えることはできません。審理と採決を国会議員に付託している法律とは大きく異なります。

また、ここでいう同意とは、医療におけるインフォームドコンセントと同様に、具体的で十分な情報や根拠に基づき、自分が理解できるような言葉で説明を受け、正しく状況を理解したうえで、真に自己の意思に基づいて判断したものでなくてはいけません。

医療におけるインフォームドコンセントは、憲法13条の自己決定権に基づき保障されていますが、憲法改正におけるインフォームドコンセントも、国民主権(憲法前文)及び自己決定権(憲法13条)に基づく国民の基本的な権利というべきでしょう。

適切なインフォームドコンセントを受けるには

 国会に丁寧な議論を求めることは当然ですが、それだけでよいのでしょうか。

憲法は一度変えると元に戻すことは極めて困難です。とくに憲法9条については、一度手放せば二度と戻ってくることはないでしょう。世界の情勢も日本の状況も、目まぐるしく変化しています。仮に現在の日本に9条はそぐわないと感じる方がいたとしても、かつて日本に「9条があればよかった」「9条があってよかった」という時代があったのであれば、再びそのような時代が来る可能性は皆無ではありません。また世界には「この国にも9条があれば」と多くの国民が願う国は少なくありませんが、日本がそのような国に変化していく可能性も皆無ではありません。

このように歴史的経緯や世界の潮流を踏まえ、長期的な展望も見すえながら、憲法の機能や役割を深く考察し、あるべき憲法の姿を考えるためには、憲法学者の意見を尊重することは不可欠です。法哲学者、国際政治学者、安全保障の専門家など、改憲論議には様々な立場の方が登場しますが、「憲法論議を憲法学者だけのものにしてはならない」というのは、憲法学者の意見を等閑視することではないはずです。

昨今、政治家などに憲法学者を敵視あるいは軽視するような言動が見受けられますが、インフォームドコンセントの観点からすると、憲法学者の意見をなおざりにして改憲議論を進めることは、専門医の意見を聞かずに他科の医師の意見やインターネットの情報だけをもとに手術の適否や方法を決めるようなものです。国会に対しては、専門的知見を踏まえた質の高い議論を期待したいところです。