つれづれ語り(母乳育児と仕事の両立)


『上越よみうり』に連載中のコラム「田中弁護士のつれづれ語り」。

12月13日付朝刊に掲載された第24回は、「母乳育児と仕事の両立」です。

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母乳育児と仕事の両立

1 熊本市議会で 

先月,熊本市議会で,女性議員が生後7カ月の子どもを連れて議会に出ようとしたが退席させられたという出来事があり,SNSなどで話題となりました。

「子連れで議会に出るなんて非常識だ。母親や赤ちゃん自身も大変だろう。家族やベビーシッターなどに預けるべきだ。」という批判的な意見が多くある一方,「育児と仕事の両立に理解が無さ過ぎる」「預け先が無くやむを得ず連れてきたのだろうから,責めるのは間違いだ。」など女性議員を擁護する声もありました。

ところが,その後のインタビューなどで,女性議員が「母乳育児を続けたかったので保育園には預けたくなかったのだ。」との発言をしたことで,新たな波紋を呼んでいます。どうやら,彼女の行動は「母乳育児と仕事の両立」という問題提起を含んでいたようなのです。

2 母乳推進の潮流 

1960年~70年代 は女性解放運動の下でミルク育児が主流となりました。しかし,その後,1989年にユニセフとWHOが世界の産院に向けて「母乳育児成功のための10ヵ条」を共同発表し,母乳推進の立場を表明して以降,日本でも母乳を推進する産院が増えました。

産院やメディアを通じて母乳の利点が広められ,日本の母親たちの間にも「赤ちゃんの免疫や栄養,母体の回復,母子の心理的な安定など様々な面から,母乳で育てるのが望ましい」との認識が広がり,母乳のみで育てる「完全母乳」にこだわる母親も増えました。

3 母乳育児と職場復帰の現状

他方,現在の日本では,「職場に復帰するなら母乳育児を(部分的にでも)あきらめるのは当然。」というのが一般的な認識です。育児相談では「どうしても母乳育児を続けたいなら,朝晩に授乳し,昼間は職場で搾乳(自分で乳を搾って捨てたり,冷凍保存したりすること)をしましょう。」というのが定番の回答です。その結果,多くの女性労働者は,職場復帰にあたり母乳育児を断念したり,搾乳室や冷凍庫が整備されていない職場では,不衛生なトイレでの搾乳を強いられたりしています。

もちろん,母乳育児の負担とミルク育児の利点を冷静に考慮した上で主体的にミルク育児に切り替える女性もいます。

しかしながら,それまでさんざん母乳を推奨され,必死に母乳育児を続けてきたにも関わらず,職場復帰となると急に「ミルクに切り替えるか,職場復帰をあきらめるか」の選択を迫られ,戸惑う女性も数多くいるのが現状なのです。

それは当たり前で仕方のないことなのか。上記女性議員の行動は,それを問うものだったのではないでしょうか。

4 海外の例 

海外では,今年5月にオーストラリアの女性議員が議場内で生後2カ月の娘に授乳したことが話題になりました。同国では昨年規定が改正され,女性議員が議場で授乳することが認められました。

イギリスでは,2010年に「平等法」という法律が改正され,女性が授乳中であることを理由とする当該女性の不利益な取扱いが禁止され,公共の場や職場などでの「授乳権」が保障されるようになりました。

5 母乳権 

ILOの母性保護条約(第183号)では,すべての女性に職場復帰後の母乳育児の権利が付与されることが求められています(日本は未批准)。

この背景には,母乳育児を行うか否かは「性・生殖に関する自己決定権」(リプロダクティブ・ライツ)に含まれる最も尊重されるべき選択権だという発想があります。

また,より根源的には,子どもの権利条約に基づく,「母乳で保育されることは新生児・乳児にとって基本的な権利である」という「母乳権」の発想があると思われます。

哺乳類として生まれてきたからには,母乳を飲むことはもっとも基本的な権利であり,侵害されるようなことはあってはならないという考え方です。

この種の権利は「議会運営を円滑にすること」よりも優先されるべきだという価値観が欧米には根付いているのでしょう。

日本の議論でも,こういう発想が欲しいものです。