はじめに
民主主義の「危機」や「限界」が指摘されるようになって久しい昨今ですが、先日、台湾のデジタル担当大臣であるオードリー・タン氏へのインタビューを取りまとめた『オードリー・タンが語るデジタル民主主義』(NHK出版新書)を読んで、衝撃を受けました。台湾では、デジタル技術を取り入れて、多くの市民が意欲的・積極的に政治参加する、まったく新しい民主主義の実践が行われているのです。
Ⅰ 市民が直接参加できる仕組み
台湾には、市民が直接的に政治に参加できる制度がいろいろあります。
1 小さな声に耳を傾ける 『総統杯ハッカソン』
(1)国の政策として実行することが約束されている
まずご紹介したいのは、公共政策のアイデアをプレゼンする大会=『総統杯ハッカソン』です。
「ハッカソン」というのは、ITエンジニアやデザイナーがチームを組んで、設定されたテーマについて意見やアイデアを出し合いながら、制限時間内にアプリケーションやサービスを開発し、その成果を競い合うイベントで、大小様々なものが数多く開催されているようです。
『総統杯ハッカソン』は、国民から「解決したい地域の課題」を集めるところからスタートします。参加チームは、そうして集められた課題の解決策を検討して、提案します。提案されたアイデアは、まず民間投票で20個に絞られます。
グランプリ(上位5組)を選ぶ最終選考は、総統のオフィスで行われます。グランプリを選出する際の評価基準は、「創造性(30%)」「実行可能性(40%)」「社会影響力および民衆の参加性(30%)」です。そして、グランプリを受賞した5つのアイデアは、予算付けがなされて1年以内に国の政策として取り入れられることが約束されています。
(2)マイノリティの声をくみ上げつつ、優先度をきめ細かく把握できる特殊な投票方法
最初の民間投票は、「クアドラティックボーティング(Quadratic Voting)」という方法で行われます。
投票者は、手持ちの99ポイントを自由に振り分けて投票できます。基本的に1票=1ポイントなのですが、1つのアイデアに複数の票を入れる場合には、その票の2乗分のポイントが消費されます。2票=4ポイント、3票=9ポイント、4票=16ポイント、といった具合です。投票の組み合わせは無数にあり、例えば以下のような投票の仕方が考えられます。
- Aに9票(81pt)、Bに4票(16pt)、Cに1票(1pt)、Dに1票(1pt)
- Aに8票(64pt)、Bに5票(25pt)、Cに3票(9pt)、Dに1票(1pt)
- Aに7票(49pt)、Bに7票(49pt)、Cに1票(1pt)
- Aに5票(25pt)、Bに5票(25pt)、Cに5票(25pt)、Dに4票(16pt)、Eに2票(4pt)、Fに2票(4pt)
この投票方法だと、ポイントをすべて使い切るためには、少なくとも3つ以上のアイデアに投票することになります。必然的に、自分が「1番いい」と思うアイデア以外にも目が向くようになる訳です。このため、マイノリティの声がマジョリティに押しつぶされてしまうことを防いだり、それぞれのアイデアに対する人々の「支持の度合い」をよりきめ細かく把握できたりする利点があります。
実際、第1回の『総統杯ハッカソン』では、「離島や山間部の無医村における遠隔診療」を可能にするためのアイデアがグランプリに選ばれており、少数派の声が制度改善につなげられています。
2 誰でも気軽に意見表明できるプラットフォーム 『Join』
(1)オンラインでできる政策提案
より気軽に政策を提案できる場として、オンラインプラットフォーム『Jion』が用意されています。
『Join』では、行政に対する提案をオンラインで行うことができ、60日以内に5000人以上の賛同を集めた提案については、行政の関連部局が検討して2カ月以内に書面で回答しなければならないことになっています。
そして、「提案」→「賛同」→「行政の回答」という一連の経過が『Jion』上で公開されているので、それぞれの提案がいまどの段階にあるのか、進捗状況が確認できるようになっています。
(2)若い世代からの提案も
冒頭で紹介した書籍では、「(ストローやスプーン等の)使い捨てプラスチック製品を禁止する」との提案が短期間で多くの賛同を集め、行政院環境保護署(環境省)がプラスチック製造業者や環境保護団体等の利害関係者と協議・検討を行ったうえで、段階的な規制の導入を決めるに至った事例が紹介されています。
この提案者は16歳の女子生徒とのことですが、まだ選挙権を持っていない若い世代からの提案も数多くなされているようです。
3 言いっぱなしにならない、時間がかかりすぎない
「パブリックコメント」や「タウンミーティング」など、民意を反映させるための制度は日本にもありますが、形骸化してしまっているものが多いように感じます。その背景にあるのは、「自分が出した意見がどのように扱われているのかよくわからない」「意見を出しても反映されないのではないか」といった思いではないでしょうか。
『総統杯ハッカソン』や『Join』は、一定の要件を満たせば何らかの応答がなされることが約束されていて「言いっぱなし」で終わることがないという点や、期限が決まっていて「時間がかかりすぎない」という点が非常に優れており、こうした工夫が積極的な参加を促す効果へと結びついているのではないかと感じました。
Ⅱ 積極的な情報提供(オープンデータ)
1 情報提供(オープンデータ)の重視
市民の参加を促すうえでは、情報提供(オープンデータ)も重要になりますが、台湾はこうした点でも進んでいます。
従来型の「情報公開」では、市民の請求を受け、公務員が情報の一部を削除(黒塗り)して、編集したものを開示するのが一般的なスタイルです。しかしオードリー・タンは、こうしたスタイルは、編集した人が公開情報の正確さや編集の根拠について責任をとらなければならないことになり、行政府にとってリスキーだと言います。
そして、「十分な数の目ん玉があれば、すべてのバグは洗い出される」というアメリカのプログラマーの言葉を引いて、リアルタイムのオープンデータのマインドセットへと切り替えることが、政府にとってリスクを減らすことになると説いています。
2 シビックハッカーコミュニティ『g0v(ガブ・ゼロ)』による予算の可視化プロジェクト
台湾では、行政機関が公開したデータをもとにして、利用しやすいアプリやサービスを開発するITエンジニア=「シビックハッカー」が大勢います。その最大のコミュニティが『g0v(ガブ・ゼロ)』です。オードリー・タンも、設立当初からこのコミュニティに参加しています。
「中央政府予算の可視化プロジェクト」は、『g0v』が主体となって行っているプロジェクトの1つで、行政府の動きや予算の分布・執行状況等を、グラフ等を用いてわかりやすくまとめて公開しています。
3 地域のイノベーションを促進する 『TESAS(テーサス)』
また、地域の情報は『TESAS』というシステムで公開されています。『TESAS』では、地域の人口、収入、経済、交通、住宅、環境、医療、社会福祉等、12の分野に関する統計データが、図やグラフを用いてわかりやすく取りまとめられています。
これによって、住民が地域の課題に気づき、その解決策を模索することが可能になります。実際に、分野を超えたコラボレーションがうまれ、地域の特徴に即した産業の創出・発展につながっているようです。
Ⅲ 対話による合意形成
1 対話による合意形成を重視
民主主義を機能させるうえでは、「対話」やそれに基づく「合意形成」が重要ですが、台湾ではこの点も重視されています。冒頭で紹介した書籍では以下のように記載されています。
「たった1回の投票による過半数票での合意の到達・解決はあり得ない。我々はお互いの意見に耳を傾け、探索しながら大まかな合意に達するという理解のうえで民主主義を実践するということです。」(89頁)
「対話によってすべての立場を理解するべく努力し、そこから共通の価値観を見いだすことが重要です。」「では共通の価値観が見つかりそうにないほど、両極端に意見が分かれている場合はどうしたらいいのか。」「我々が生まれてきた世界と比較して、それよりもよい世界を後生に残したいという願望は、万人に共通しているもの」「次の世代、あるいは7世代先のことまで見据えることによって、共通の価値観は必ず見つかります。」「いかにして将来をよりよいものにするか、より長続きさせるか、よりレジリエントにするか、よりサステイナブルにするか、を重点的に話し合ってみると、異なるイデオロギーを持った人でも、突如として、以前思っていたよりも多くの共通点があることを発見します。」(114~115頁)
2 オンライン上で合意形成を可視化する技術『Polis』
台湾では、オンライン上で合意形成を可視化する『Polis』というシステムが導入されています。
『Polis』の特徴の1つは、他者の投稿に対する返信機能がないということです。他者から直接的に批判されたり攻撃されたりするおそれがないので、安心して投稿することができます。
他者の投稿に対しては、「賛成」「反対」「不確定」の意思表示をすることができます。こうした意思表示をすると、AIがリアルタイムで作り出すオピニオンマップ上に、自分のアイコンが表示されるようになります。
これによって、自分の現段階の意見が全体の中でどこに位置するのかを視覚的に把握することができます。また、各グループの主張の相違点や共通点も、クリアに見えるようになります。そうすると人々は、他のグループの人々を納得させるにはどうしたらよいのかを考えて意見を投稿するようになります。こうしたやりとりを繰り返すことによって、お互いに受け入れ可能な合意点(大まかなコンセンサス)が見えてくるのだと言います。
3 「リテラシー」と「コンピテンシー」
参加や対話は、学校教育でもしっかり位置づけられています。
メディアや資料を読み解く能力である「リテラシー」と、能動的・自発的に何かを作り出す能力である「コンピテンシー」とが明確に区分され、後者の力を養うことが重視されています。これは、誰もがメディアやジャーナリズムの作り手であるという考え方に基づいています。
そして、他者と一緒に何かをつくりあげる「共創」が学習指導要領の根幹とされています。「共創」のためには、異なる文化、異なる視点、異なる分野に耳を傾ける必要がありますが、そうした「自分とは異なる人」とのコミュニケーションが、お互いにとって共通の利益となるとの理解が前提となっています。
また学校では、プログラマーが用いる「デザイン思考」や「コンピテーショナル思考」を実践的に学ぶことができます。「デザイン思考」は、社会の様々な問題について考え、共通する価値やニーズを探し出す思考方法で、「コンピテーショナル思考」は、問題を抽象化したり分解したりすることによって、多くの人と協働して解決できるようにする思考方法です。
おわりに~技術を支える理念
彼我の差はどこにあるのでしょうか。デジタル技術はもちろんですが、根本に据えられている理念にも決定的な違いがあるように感じました。
「台湾には20ほどの言語があり、その多くの言語が先住民族によって使われる土着言語です。つまり20の異なる文化があるということです。そういう意味では、お互いに排除しないインクルーシブな社会にならなければ民主主義を実現できません。ですから、私たちはいかなる政策も20の異なるアングルから見ています。」(33頁)
私たちが台湾の実践からもっとも学ぶべきなのは、「誰も置き去りにしないインクルーシブな参加型民主主義」を徹底して追求する姿勢にこそあるのではないかと思います。