つれづれ語り(沖縄県民投票で問われていること)


『上越よみうり』に連載中のコラム、「田中弁護士のつれづれ語り」。

2019年1月22日付に掲載された第51回目は、「沖縄県民投票で問われていること」です。
沖縄の県民投票について考えるべきことはたくさんありますが、今回は、①市長の不参加表明が法的に許されるものかどうかという点と、②「県民の分断を招く」という懸念についてどう考えるかという点に絞って書きました。

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沖縄県民投票で問われていること

辺野古米軍基地建設の賛否を問う沖縄県民投票について、沖縄、石垣、うるま、宮古島、宜野湾の5市の市長が県民投票への不参加を表明している。このままでは、約3割の県民が投票の機会を奪われてしまうという異例の事態だ。

【市議会の決議を尊重?】

市長らは、不参加の理由として「市議会の決議を無視することはできない」ことを挙げる。市議会が県民投票経費を盛り込んだ補正予算案を否決しているため一見もっともらしく映るが、法解釈を誤っているものと言わざるを得ない。

市長の判断は違法

今回の県民投票は、9万人を超える県民から条例制定を求める署名が寄せられたことを受け、県議会が条例を策定して、実施が決まった。この条例及び地方自治法によって、市町村には投開票事務を行うことが義務付けられている。

投開票事務に要する費用は、県が交付金として支出する。実際の事務は市が行うことから、それを盛り込んだ補正予算案が市議会で審議されるが、あくまでも財源は県が支出する交付金であり、市の実質的負担はない。

これは「義務的経費」であるから、市議会が予算案を否決した場合、市長は再議に付さなければならず、再議でも否決された場合には市長の権限で原案通り経費を支出することができるとされている。市長の裁量はほとんどなく、大規模自然災害により投票事務を行うことが事実上不可能である等特段の事情がない限り、この権限を行使して、投開票事務を実施する市の義務を果たさなければならない。

憲法違反との指摘も

住民投票は間接民主制の欠陥を補う重要な制度であるが、もしこのまま投票が実施されなければ、市長の違法な権限不行使によって市民の投票の権利が奪われるという重大な結果を招くこととなる。

首都大学東京の木村草太教授は、住んでいる場所によって「投票できる県民」と「投票できない県民」の区別を生じさせることは、憲法14条1項に違反すると指摘している。

【県民の分断を招く?】

不参加の理由として、賛成・反対の2択で投票を実施すれば県民の分断を招きかねないという点が挙げられることもある。

民意を明確に示す必要

条例が2択での投票実施を定めたのは、沖縄の民意をこれ以上ない形で明確に示すためであろう。政治でも司法でも、民意が受け止められていないのだ。

沖縄の民意は、国政選挙や地方選挙の度に繰り返し示されてきた。先の県知事選で、新基地建設反対を公約に掲げた玉城デニー候補が過去最多の得票で当選したことは記憶に新しい。しかし、それを受けて政府が行ったのは、辺野古への土砂投入の強行だ。

また、辺野古の埋め立て承認の取消処分をめぐって国が沖縄県を訴えた裁判において、沖縄県が「過去の選挙を通じて辺野古反対の民意は示されている」と主張したのに対し、福岡高裁那覇支部は、「選挙はさまざまな要因が入っており、基地負担軽減なのか、辺野古に基地をつくらせない民意なのか判断することができない」と判示している。

分断はどこにあるのか

そもそも沖縄県民の世論は決定的に対立している訳ではない。積極的に新基地建設を進めるべきだという「推進派」はごく少数であり、大半は「消極的容認」と「反対」のいずれかである。両者は新基地建設を望まないという点では共通しており、違うのは反対しても無駄なのではないかという諦めの気持ちがあるか否かだけである。

そして、沖縄の人々にこうした苦渋の選択を強いているのは、何度民意を示しても一向にそれを聞き入れ様としない政府であり、それに異を唱えない「本土」の我々だ。政府が法律も民意も無視して強引に事を進めているときに、関心を持たない、意見を表明しない、何もしないという振る舞いは、結果的に沖縄県民に対して我慢や諦めを押しつける作用をもたらす。

つまり、「沖縄県民の分断」の根底にあるのは、沖縄と「本土」との分断・断絶なのだ。前者は表層的な問題に過ぎず、真に問題なのは後者の方である。県民投票は、「沖縄県民の分断」をもたらすものではなく、沖縄と「本土」の分断・断絶を乗り越えるためのものであろう。そして、それを活かせるかどうかは、私たちにかかっている。