『上越よみうり』に連載中のコラム、「田中弁護士のつれづれ語り」。
2018年10月24日付に掲載された第45回は、「家事・育児ノススメ」です。
「自分が担っている割合を過大に評価し、相手にしてもらっている割合を過小に評価する傾向」というのは、家事育児に限らずいろいろな場面で起こりがちです。自分でやってみると、評価を修正することができ、自然と感謝の気持ちも生まれるのではないかと思います。
家事・育児ノススメ
裁判や調停の中で
離婚の裁判や調停で、家事・育児の分担状況が争われることがあります。離婚原因の有無や有責性、親権者の指定等の判断に関連して問題となるのです。
それぞれの当事者から陳述書を出したり、調査官が訪問や面談調査等を行ったりするのですが、そうした手続のなかでよく感じるのが、双方の負担割合に関する認識のズレがかなり大きいということです。
家事・育児の負担比率が低い当事者は(多くの場合男性ですが)、家事・育児の総体を実際よりも小さく捉えているため、自分が担っている割合を過大に評価し、相手にしてもらっている割合を過小に評価する傾向があります。
「名も無き家事」
そうなってしまう要因の1つとして、掃除や洗濯などの「メジャーな家事」の背後に潜む「マイナーな家事」の存在が認識されていないことが挙げられます。この「マイナーな家事」は、最近「名もなき家事」と呼ばれるようになりました。
例えば、「子どもの成長や季節の変化に合わせて適切な衣類を準備しておくこと」があります。これを適切に実行するためには、子どもの好みや身体のサイズ、既に持っている服のデザイン・汚れや痛み具合等を把握しておく必要がありますし、家計の状況に照らして支出可能な範囲で適切な物を入手する方法も検討しなければなりません。日常的・継続的に多種多様な情報を把握し、日々の変化に応じて適時に適切な対応をすることが求められる、極めて高度な業務と言えるでしょう。
しかし、実際に担当していない人の目には見えにくいため、存在自体が明確に認識されていません。
朝、「子どもの身支度を手伝う」という育児の前段階には、上記家事に加えて、洗濯(洗濯機を回す、干す、たたむ、しまう)や、当日着る服などを選ぶという工程がありますが、こうしたことが明確に認識されず、「子どもの身支度を手伝う」だけで大きな事を成し遂げたかのように思いがちです。
大変さがわからない
自分でやったことがないために大変さがわからないというのも、認識のズレを生む要因の1つです。
育児の本質的特徴は、「とにかく思い通りにいかない」という点にあります。子どもは、当然のことながら、意思や感情を持った人間ですので、こちらの思い通りには行動してくれません。車で10分程度の距離にある保育園や習い事に連れていくという、とても簡単そうに見えることでも、相当な時間と労力を費やされることが多々あります。
急いでいるからといって急かしたりすれば機嫌が悪くなり、かえって時間がかかってしまいますので、まずは忍耐力が求められます。子どもが行きたがらない場合には、イヤだという気持ちを受け止める、楽しいことや好きなことに発想を切り替えさせる、競争心や向上心を刺激する等々、自分で行きたいという気にさせるための技術を駆使しなければなりません。
しかしこうしたことも経験してみないとその大変さは分からないでしょう。
不満を感じたときは
家事・育児の負担割合が低い人ほど、パートナーがしている家事・育児の「やり方が不十分であること」に対する不満を持っていることが多い様に感じます。
修復不可能なほどに意識のズレが拡大してしまうことのない様にするためにも、「不満を感じたら自分でやってみる」ことをお勧めします。