『上越よみうり』に連載中のコラム、「田中弁護士のつれづれ語り」。
4月26日付朝刊に掲載された第8回は、篤子弁護士が「憲法カフェ」について語っています。
ママ弁護士の憲法カフェとは?
3年ほど前から、当事務所では「憲法カフェ」という憲法の出張勉強会を行っています。主催を希望される方からの依頼を受けて、カフェやレストラン、子どもセンターや公民館など様々な場所に講師として出向いてきました。
2012年に自民党が憲法改正草案を発表し、安倍首相が憲法改正を目指すことを明言している中、「どんな内容に改正しようとしているのか、それによって社会がどう変わるのかを学びたい」という方が増えている(にもかかわらず学べる場が少ない)ことを実感しています。
理想を言えば、わざわざ「憲法カフェ」などに行かなくても、テレビや新聞などを通じて、自然と人々の中に憲法の意義や内容が浸透し、家族や友人との間で当たり前のように憲法の話題が出てくる社会になってほしい。また、そうなってはじめて憲法改正の国民的な議論の場は整うのだと思いますが、現実はなかなかそうなりません。というわけで、せめて気軽に学べる場を提供できればと思い、「憲法カフェ」を続けています。
さて、これまで様々な団体や個人の方々から依頼を受けてきましたが、大半は憲法問題に詳しい淳哉弁護士が講師を務めています。
ところが、時折、同年代の子育て中の女性たちなどから「篤子先生で」とご指名をいただくことがあります。どうやら、「同じ目線で話してくれるので分かりやすい」という理由からのようです。
大変光栄なことで、私も出来る限り努力・工夫をしたいと思っているのですが、この「同じ目線で話す」ということは、意外と骨の折れることでもあります。
「同じ目線で話す」とは、その人が普段使っている言葉を用いて、普段の生活の延長線上の問題としてイメージできるように話すということだと思います。
例えば、「国家権力を制約して国民の権利・自由を守ること」。これが近代立憲主義の下での憲法の最大の役割であることは言うまでもありません。
ところが、どの本にも書いてあるこのフレーズをこのまま使ってお話ししても、到底「同じ目線で話す」ということにはなりませんし、実際「あまりピンと来ない」という方も多いように感じます。子育てや家事に一生懸命な日々を送っている女性たちにとって、「国家権力」や「国民の権利・自由」という言葉は堅苦しく、どこか他人事のように感じてしまうのでしょう。
そういう方々にも、「ああ、そういうことなのね。それなら私にも分かるわ。」と実感し、イメージしてもらうためにはどうしたらいいか。そこにいつも頭を悩ませます。
依頼してくれた方々の顔を思い浮かべながら、どういう風に言い換えようか、どんな具体例ならピンとくるか、あれこれ考えを巡らせていると、いつのまにか子どものお迎えの時間がきていて、慌てて事務所を出ることもしばしば。そういう場合、たいていはお迎えの車の中でもぐるぐると思考が止まらず、最後は子どもたちから「ママ。ねぇ、ママ!ぼくのおはなしちゃんときいて!!」と怒られるのです。