木村草太さんの『「差別」のしくみ』を読みました。
本書では、現在進行形で起こっている差別問題に正面から向き合い、解決するための積極的な提言がなされています。帯に記載されているとおり”渾身の作”であると感じました。NHKの朝ドラ「虎に翼」の穂高先生のモデルとされる穂積重遠(ほずみしげとお)も登場します。ぜひ読んでみてください。
以下では、本書の全体の構成を概観したうえで、私なりに重要と感じた点について感想的なコメントをしたいと思います。
全体の構成
本書は、雑誌『一冊の本』(朝日新聞出版)に連載された内容をもとにつくられています。連載順に1~24章が並列的に掲載されているため、目次を眺めただけでは各章の関係を把握しづらいように感じました。そこで、内容に基づいて区分けして、私なりの目次を以下の様に作成してみました。
1 総論(1~9章)
- 差別の定義、規範、行動様式(1~3章)
- アメリカにおける差別と憲法の歴史(4~6章)
- 日本における差別と憲法の歴史(7、8章)
- 差別の意図(9章)
2 日本の家族法分野における男女平等の歴史(10~15章)
- 憲法24条と家制度(10~13章)
- 夫婦同氏制(14章)
- 同性婚禁止解釈と差別(15章)
3 アメリカにおける差別の哲学的・法学的分析の歴史(16~20章)
- 法学分野における差別の論考(16~18章)
- 社会心理学・心理学で現れた3つの重要な概念(19章)
- 差別の悪性に関する哲学的考察(20章)
4 差別を解決するためにどのような権利を保障する必要があるか(21~24章)
- 差別されない権利(21章)
- 秘密の差別の害悪(22章)
- 「分離すれど平等」(23章)
- 理由の説明からの逃避(24章)
差別の定義について
狭義の差別
本書では、差別とは「人間の類型に向けられた否定的な価値観・感情と、それに基づく行動である」との定義が示されています。
差別と混同されがちな概念
また、これと混同されがちな概念として、以下の3つが挙げられています。
①偏見(人間の類型に対する誤った事実認識)
②類型情報無断利用(人種や性別などの所属類型に関する個人情報の無断利用)
③主体性否定判断(相手が自律的判断をする主体であることを否定する判断)
これらは、「差別に起因することが多い」ため「差別と混同されてきた」が、「差別の本体」はこれらとは別なので、「概念的に区別しておくべきである」とされています。
概念相互の関係
これらの定義や分類は、おそらく筆者のオリジナルではないかと思われます。概念相互の関係性を把握するのが難しいのですが、私なりに理解した内容を図解すると、以下のようになります。
そして、狭義の差別(差別の本体)と上記の①~③をあわせて、広義の差別としています。
「差別されない権利」の必要性
憲法14条で、平等権とは別に「差別されない権利」が保障されているという主張も、新しいものです。
従来の考え方
従来の判例や通説では、憲法14条で保障されているのは平等権であり、その内容は「不合理な区別をされない権利」であるというものでした。つまり、異なる取扱いをすることに合理性がある場合は区別として許されるけれども、そうでない場合は差別にあたり許されない、ということです。
従来の考え方の限界
筆者は、このような考え方に基づく「差別解消には限界がある」と指摘します。その理由として、「何を区別の目的とするかは恣意的に操作できてしまう」ことや、差別が争われた裁判において国が「区別していない」と主張することによって区別の合理的理由の説明を避ける傾向が見られることなどが挙げられています。
「合理性がある」と言い抜けたり、「区別していない」と強弁することによって、本来であれば差別にあたるはずのものが捕捉しきれなくなってしまうということでしょう。
「差別されない権利」
このため、差別の定義を明確にしたうえで「差別されない権利」を正面から認めるべきというのが筆者の主張のポイントです。
なお、連載時期との兼ね合いから本書では触れられていませんが、被差別部落の出身者らが書籍(「全国部落調査」)の出版差止やウェブ記事の削除等を求めた裁判の控訴審において、東京高等裁判所が2023年6月28日に言い渡した判決の中で「差別されない権利」を認めたことが注目されています(「差別されない権利」を認めることの意義)。
国家の責任
差別を防ぐ責任
また、国家には差別を防ぐ責任があるとの指摘も重要です。
「人々の間で差別的価値観・感情が生まれることそのものを防ぐのは難しい」が、「国家には、人々の差別的価値観・感情が差別として現れるのを防ぐ責任がある。」「憲法は伝統的に、国家による差別の禁止に重大な関心を払ってきた。さらに、私人による差別を解消するため、現在も、差別禁止のための憲法理論は発展し続けている。」(39頁)。
アメリカにおける判例法理の発展と新たな課題
本書では、差別に関するアメリカの判例法理がどのように発展してきたかが詳しく紹介されています。それを読むと、裁判を通じて差別に関する法理が形成されると、それを掻い潜るようにして「洗練された差別」問題が新たに浮上し、それに対応するために差別禁止法理が発展していく過程がよくわかります。
こうした過程を経て、20世紀の終わりから21世紀にかけて、「少なくとも形式上は、法制度における差別は解消」していきます。ただ、「差別は、より見えにくい形で継続する」として、象徴的・現代的レイシズムやマイクロアグレッション(緊密侵害)などが指摘されています。
日本の現状と課題
日本については、夫婦別姓訴訟や同性婚訴訟の判決の論理が詳しく分析されています。日本では法制度における差別が残されている上、「見えにくい形」での差別も増えてきていることがよくわかります。
だからこそ、「差別されない権利」を確立していくことが必要ということなのでしょう。