不登校の子ども達の居場所を
7月11日(日)、『じゃがいも親の会』の方からオファーを受けて、憲法カフェをしてきました。
『じゃがいも親の会』というのは、「不登校の子ども達のための居場所をつくろう」という思いからはじまった会で、20年以上にわたって継続的な活動をしていらっしゃいます。2019年11月にも一度憲法カフェをしたことがあります。
前回はオーソドックスな内容の憲法カフェでしたが、今回は「教育機会確保法と不登校の子どもの権利」というテーマで話して欲しいという依頼でした。
恥ずかしながら、今回のオファーを受けるまで、この法律についてきちんと学んだことがなかったため、関連する書籍などを読んで法律の内容を理解するところから準備をはじめました。
事前準備で
「学校至上主義」と、学校の包摂性の「崩壊」
準備の過程でいろいろと認識が深まったのですが、特に以下の点が印象に残りました。
- 戦前の「学校至上主義」が戦後にも引き継がれてしまった側面があること
- 1950年代以降、学校の包摂性が徐々に失われ、特に2000年代以降に再び管理が強められたことによって、学校の包摂性は「崩壊」に近い状況にあること
- そんななか、不登校の子どもの人数は年々増加し、学校外での学びの場が増えていること
適応できていないのはどちらなのか
教育機会確保法は、不登校の増加について、「子どもが学校に適応できない」のではなく「学校が子どもに適応できていない」ものと捉えたうえで、以下の2つの方向でこれに対応しようとするものです。
- 学校を変える
多様な子どもたちを包摂できるような学校に変えていく - 学校以外の学びの場を支援する
多様で適切な学校以外の学びの場を支援し、充実させていく
つまり、学校における包摂性の回復と、「学校至上主義」からの脱却を、並行して進めることによって、子ども達の学ぶ権利を保障していこうということです。
これに関連して、雨宮処凛さんの『学校行かなきゃいけないの? これからの不登校ガイド』(河出書房新社)で紹介されていた、フリースクール「東京シューレ」の理事長である奥地圭子さんの言葉がとてもわかりやすいと感じたのでご紹介します。
不登校は『子どもという生命』と『学校という制度』のミスマッチだと思います。(中略)靴が合わなくなったとき、足を叱らないですよね。足に合う新しい靴を探そうってなりますよね。子どもと学校もそれと同じで、子どもに合わせた学校を作るのがいい。
学校復帰が前提ではない
法律の規定をふまえて作成された基本指針では、以下のことが示されています。
- 不登校は子どもの側の問題ではないということ
- 不登校対応は学校に復帰させることが前提ではないということ
従来は、不登校の子どもに対しては、学校に復帰させることを目標にした働きかけがなされていました。しかしこれでは目的と手段がすり替わってしまっています。教育を保障する本来の目的は、子ども達に社会で自立する力を身に付けてもらう点にあります。学校はそうした教育を提供する場ではありますが、学校でなくても社会で自立して生きていく力を養っていくことは可能です。多様性に十分な配慮ができない学校に無理やり戻すのではなく、多様な学びの場を保障することによって、社会で自立する力を身に付けてもらおうというのが、この法律や基本指針の考え方です。
準備した内容
どうにか準備が終わったのは2日前。最終的に、以下のような構成でお話することにしました。
当日お話したこと
事前の準備から離れて
パワーポイントを使いながら、レジュメの流れに沿ってお話をしていたのですが、「不登校の現状」についてお話しているときに、質問が出されました。それにお答えしたうえで、「今のようにわからないことや聞きたいことがあったら途中でも遠慮せずに聞いてください」とお伝えしたところ、その後も話が進むたびにいろいろな質問・疑問が出されるようになりました。
「気心の知れた人たちの集まりで、双方向でのやりとりが気軽にできる」というのが憲法カフェの魅力の1つです。積極的に参加してくださるのはとてもうれしいことですので、1つ1つの質問や疑問にできるだけ丁寧にお答えするようにしました。その結果、当初予定していた内容とはまったく別の流れになりましたが、お互いにより満足度の高いものになったのではないかと思います。
憲法26条は憲法13条とあわせて読む
「1人ひとりを個人として尊重する」(憲法13条)というのが、憲法がもっとも大切にしている価値です。教育を受ける権利を保障した憲法26条の規定も、これがベースになっています。
教育を受ける権利・学習権は、私たち一人ひとりが学んで成長し、発達することを保障する権利です。憲法13条とあわせて読めば、一人ひとりの個性を尊重し、それぞれの興味・関心に対応して、能力を伸ばしていくことが保障されているものと考えられます。学校が、子ども達の多様性を無視して一律に型にはめこもうとしたり、個性を邪魔者にしたりしてしまうような状況では、この権利が十分に保障されているとはいえません。子どもを、「管理の客体」ではなく、「権利の主体」として捉え、尊重・保障していくことが求められています。
このことを、建前ではなく、本気で実践している公立中学校があります。西郷孝彦さんの『校則なくした中学校 たったひとつの校長ルール』(小学館)では、定期テストも制服も、いじめも不登校もない学校がいかにしてつくられたかが詳しく紹介されています、これについては次回のコラムで取り上げたいと思っています。