12月10日から12日にかけて、夫婦で長崎に行き、日弁連の人権擁護大会に参加してきました。人権擁護大会に参加するのは、福井で開催された2016年以来9年ぶりです。
私は、シンポジウム第2分科会(『再び戦争の惨禍が起こることのないように〜「危機の時代」の私たちの選択』)の実行委員としての参加でした。

会場となった「出島メッセ」のコンベンションホール
分科会
12月11日に開催された分科会は、以下の豪華ラインナップで、12時30分から18時までという長丁場でした。
- 基調講演①「戦後の安全保障政策からの大転換を問う」
布施祐仁さん(フリージャーナリスト) - コント
松元ヒロさん - 現地調査報告(防衛力強化に伴う国内各地域の変貌、台湾)
関守麻紀子弁護士、諸富健弁護士、加藤裕弁護士 - 基調講演②「核抑止論について考える 国際法と「長崎的リアリズム」の視点から」
河合公明さん(長崎大学核兵器廃絶研究センター副センター長・教授) - 高校生平和大使(長崎)からの報告
芮 序知さん、高田健士郎さん - パネルディスカッション「軍事に頼らない平和構想を考える」
布施祐仁さん、猿田佐代さん(新外交イニシアティブ代表、弁護士、立教大学講師、沖縄国 際大学特別研究員)、清末愛砂さん(室蘭工業大学教授)

私は書籍販売の担当者だったので、出たり入ったりの繰り返しでしたが、基調講演をしてくださったお二人のお話や、3人によるパネルディスカッションはもちろんですが、弁護士による現地調査報告、松元ヒロさんのコント、高校生平和大使(長崎)の活動報告がいずれも素晴らしく、時間の長さを感じさせない充実した内容でした。
長崎市内巡り
最終日は、夫婦で長崎市内を巡りました。
平和公園
爆心地北側の小高い丘にある平和公園。

「平和の泉」。被爆した少女の手記が刻まれた石碑の後方、噴水の合間から平和祈念像が見えます。

天を指した右手は「原爆の脅威」を、水平に伸ばした左手は「平和」を、軽く閉じた瞼は「原爆犠牲者への祈り」を示しているとのこと。原爆被害を二度と繰り返させない強い意思と迫力のようなものを感じました。
爆心地の石碑

爆心地公園内に建つ原子爆弾落下中心地碑
黒御影石で作られた碑が、12月とは思えない穏やかな好天の下、厳かに建っていました。
長崎原爆資料館
エントランスロビーを入ると、展示室がある地下2階部分までらせん状のスロープを降りていく作りになっていて、現在と、自分が生まれた年と、原爆投下の年の関係が視覚的に把握できます。歩きながら歴史を遡っていくような感覚になりました。
また、「被爆の惨状」をはじめ、「原爆投下に至る経緯」、「核兵器開発の歴史」、「長崎の復興の様子」など、テーマ毎にストーリー性をもった展示がされていて、理解しやすかったです。
特に印象に残ったのは、「核兵器の時代」のコーナーです。上段に核兵器開発の流れ、中段に世界情勢、下段に核兵器廃絶の運動がまとめられていて、核兵器を巡るせめぎ合いが長く繰り広げられ続けてきたということと、現在はその延長線上にあるのだということがよくわかりました。
山王神社
爆心地から約800メートルの距離にある山王神社。その参道にあった4つの鳥居のうち、二の鳥居は爆風で破壊され、片側の柱だけが残りました。一本柱鳥居としていまでも住宅街にひっそりと佇んでいます。

境内の入り口に立つ2本の巨大クスノキ。被爆して枯死しかかったところから再生し、多くの人を勇気づけたとのこと。今年の8月9日に開催された平和記念式典では、福山雅治さんがこの被爆クスノキを題材にして作った楽曲「クスノキ」を、地元の小学生100人が合唱しました。
神社の境内を出たところで、近くの保育園に通う子ども達が、お散歩から帰ってくる場面に出くわしました。笑顔で口々に「こんにちわ~」と挨拶しながら通り過ぎる様子を見て癒やされるとともに、改めて平和の尊さを実感しました。
長崎ちゃんぽん

最後は、長崎ちゃんぽん発祥の店「四海樓(しかいろう)」でちゃんぽんをいただき、大満足で帰路につきました。
30年ぶりの長崎で
長崎を訪れたのは30年ぶりでした。前回は、被爆50年の節目の年で、「原水爆禁止世界大会」広島と長崎の両方に参加しました。当時は20歳の大学生だったこともあり、千葉から広島へ、広島から長崎へ、長崎から新潟へと、青春18切符をフル活用した旅でした。
今回、長崎市内を巡りながらその後の30年間を振り返り、自分がこれまでに途切れ途切れになりながらも平和に関わる活動を続けてきたのは、学生時代に被爆地を訪れ、被爆者の方々からお話を伺い、平和活動を続けていらっしゃる方々に感銘を受けたためであったことを再認識しました。
今回の人権大会で採択された「戦争をしない、させない 長崎宣言」が、いまの私の心情にもぴったりフィットしているので、その一部を引用する形で私なりの決意を表明します。
「核兵器の壊滅的な惨禍を知る日本は、唯一の戦争被爆国として、核兵器が非人道的で決して使われてはならない兵器であることを世界に伝え、核廃絶に向けて先頭に立って具体的に取り組むことが求められている。」
「80年前に原子爆弾が投下されたこの長崎の地で、当連合会は、この危機の時代において、日本と世界の市民と共に、日本も、また、他のいかなる国も、戦争をしない、させないため、そして核兵器のない世界を実現するため、強く警鐘を鳴らし、全力を尽くしていくことを、ここに宣言する。」