2月1日(土)、新潟県弁護士会の主催で、青井未帆さんの憲法講演会が開催されました。用意していた資料や椅子が足りなくなるほど多くの方がご参加下さいました。大学生や大学院生を含む若い世代の方も参加して下さっていました。
『憲法9条の基本理念とその今日的意義 ~平和主義を貫くために必要なこと~』という演題はこちらで考えたのですが、青井先生は、本質的・根源的なところまで掘り下げて、「憲法9条の基本理念」「憲法9条の今日的意義」「平和主義を貫くために必要なこと」について語ってくださいました。これほど深い内容を、こんなにもわかりやすく伝えることができるものかと感銘を覚えました。
遠く上越市から参加された上越教育大学の大学院生(現役の高校教諭)の方が感想を寄せてくれたので、その一部をご紹介します。
私は沖縄県石垣島の出身ですが,島に自衛隊のミサイル基地配備がなされたことや自衛隊とアメリカ軍の連携が以前より深くなっていることに不安があります。ですが,今日の青井先生の講演会で,憲法9条は効力を持ち続けていることを学ぶことができました。油断はできませんが,励まされたような気持ちになりました。
法律に先行して,閣議決定の手法やガイドラインを用いることで軍備を拡大しようとしても,憲法9条が持っている影響力について学ぶことや「どうせ」とあきらめないこと,冷笑的にならないことが私のできることかな,と思いました。
最後にどきっとしたことは,安全保障に関することが国民の「心」と結びつきつつあることです。かつて,教育現場はそこに加担した過去があります。道徳教育や社会科教育の中でもすっと入ってくる(入ってきているかも)ことに敏感でありたいとも思いました。
また、新潟日報の記者さんが当日取材に来て下さり、2月6日付10面に記事が掲載されました。ありがとうございました!
以下に、講演の概要を記載します。なお、講演のアーカイブ動画は、2025年5月10日まで、こちらでご覧いただけます。また、講演で使用された資料(PDF)は、こちらからダウンロードできます。複写や転載など、他目的使用はご遠慮ください。
はじめに
今日一番お伝えしたいことは、平和への感度と見識が問われているということ。
憲法や平和に冷笑的な人が増えている。冷笑的であるというのは、何についてであってもあまりよろしくない。特に、憲法や平和について冷笑的であるというのは危険なこと。長いスパンでボディブローのように効いてくる。
これは、基本的には、2014年になされた閣議決定の帰結であると思う。大学の初年次教育をしていて、この10年間で大きな変化を感じる。18歳の1年生にとって、2014年は8歳の頃の出来事。その解釈で勉強してきている。冷笑的にならず、何のための平和や憲法かということを、改めて考えることが重要。
信州大学に奉職した際、ミサイル防衛の導入が問題となっていて、「武器輸出三原則に照らし」「国是であるから」といった言葉が紙面を賑わせていた。武器輸出三原則という言葉を憲法のテキストで見たことがないということに、はたと気づいた。憲法はもちろん法律でも規定されていない。よくよく調べて見ると、政令の、別表1の、項目1の解釈指針に過ぎないものだった。それを、国是と扱っている。そのことを知ったときに、「なるほどこれが憲法9条の生きている姿なんだな。」と深く納得し、これを契機として憲法9条を専門的に学ぶようになった。
その時代、その時代に、生きている人々が憲法9条を具体化していかないと、平和は実現できない。武器輸出三原則だけではなく、色濃く憲法9条を具体化してきた様々な施策がある。憲法9条を巡って規範が緩くなってしまっている現状は衝撃的。自分にとっても転換点であると感じている。
2024年を振り返る
ウクライナやガザでは、停戦への動きがあり、恒久的な停戦に向かうかどうかが注目される。また、2024年は、全世界的に選挙の多かった年でもある。トランプ政権にどう向き合うのか、各国の「かまえ」が問われる状況。
国内では、衆議院選挙で与党が歴史的大敗を喫し、30年ぶりの少数与党となった。国会状況はここ数年とは大きく変わっている。他方で、憲法審査会会長に立憲民主党の枝野氏が就任したことについては、不透明な部分が残る。衆議院の憲法審査会は定例的に開かれる傾向が強かった。形式や手続きなどをごくごく表層的に見ると、議論はなされており、時間は費やされてきている。枝野氏は、従来型の「護憲」と「改憲」という対立軸はおかしいという立場。内容によるというニュアンスが強く、「機が熟す」と改正へ向かう可能性もなくはない。
改憲されるかどうかより、どこをやりにくいと感じているか、どうしたいと思っているかを考えてみることが大切。自分が政権を動かしている側であるとすると、他の役所の横並びで作られている防衛省、その一機関である自衛隊というのは、機動的に動かしづらい。手足が縛られすぎていると感じるだろう。特別扱いしたいけれどもできない。
世界が混沌とし予断を許さない状況にある中で、クアッドなど対中国というスタンスを鮮明にした包囲網が広がり、是々非々のスタンスの枝野氏が憲法審査会長を務めている。これらの状況に注意を払う必要がある。
そもそも憲法9条とは?
憲法第2章 =憲法9条
憲法9条は、珍しい規定。この条文を、価値としての平和とは別の観点で考えてみたい。これは、どうして9条は手足を縛れているのかということにもつながっている問題。
憲法第2章は、憲法9条のみからなっている。その前の第1章は天皇に関する規定。日本国憲法はなぜ天皇の章からはじまるのか。明治憲法の改正という形式をとっているから、規定の並びは基本的に同じ。
天皇のどのような権力を、どの機関が奪っていったのか。天皇が持っていた権限の行き先はどこかという視点で見ると、憲法の変遷を動態的に理解できる。内閣に横滑りしたもの、国会が関与するという形になったものなどがある。
明治憲法と統帥権
明治憲法11条は「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」と規定していた。作戦・用兵に関する統帥事務については、国務大臣ではなく、陸軍においては参謀総長が、海軍においては軍令部総長が、補翼する。これは、国務大臣の輔弼の排除を意味する。このように統帥権が独立したものと扱われていたため、最終的に暴走が止められなかった。
統帥権が何によって作られたのか。憲法によって作られた訳ではない。前憲法的な「事実」として「統帥権の独立」が存在した。もっと言ってしまえば、統帥権こそが、国家のあり方そのものであった。
日米安保条約体制が、いつのまにか日米同盟体制となり、ガイドラインというような、法律でも条約でもないものによって中身が変えられていく状況がいま現実に存在する。「統帥権の独立」を昔の話として考えていてはいけない。力をどうコントロールするか、暴走をとめるかという課題は、明治憲法のもとで失敗した。その結果が戦争だった。この課題について、今の状況を前提に考えてみる必要があるのではないか。
統帥権を削除したのが憲法9条だった。これは本当にすごいこと。平和をどうつくるかを考えたとき、平和について強くコミットメントしているのが9条と前文。平和へのコミットメントを具体化する1つの方法として選んだのが、統帥権を削除するということだった。そうであるにも関わらず、自衛隊が作られ、権限を大きくしてきたことをどのように捉えるべきか。どうコントロールするのかが、我々の世代の課題。
近代憲法(立憲的意味の憲法)について
近代憲法は、力をどうやって統制するかの1つの知恵。それがあるだけで平和や人権が保障される訳ではない。とっかかりをつかって主張していくのは、私たちの役割。若い法なので、失敗もするし、成功もする。どちらになるかは、私たちにかかっている。
立憲的意味の憲法は、権力分立(力を分散する)と、人権保障(弱い人に権利を保障する)によって、私たちの自由が守られるようにするというもの。明治憲法でもこの2つは謳われていた。
諸国は、主権国家からなっている。国際的にも、人権が正しい目的と理解されている。国際人権を保障するために、近代憲法を知恵として作ってきた。権力分立の国家を作った。
9条は、この観点からすると面白い条文。平和は人権保障の前提。人権は平和でないと保障できない。また、統帥権をなくすという権力のあり方を定めた法でもある。人権保障と権力分立の両方が9条の目的となっている。
憲法と一緒に考える憲法付属法
憲法を改正しなくても「国のあり方」は変わる。その例として公職選挙法について述べたい。
日本国憲法の条文はわずか103と少ない。法律で、憲法に内容的に入ってもおかしくないものを定めているというのが1つの特徴。国会法、公職選挙法、内閣法、国家行政組織法、国家公務員法、地方自治法、国民投票法などは、憲法と同時並行で制定作業がなされ、憲法の周りを取り囲んでいるイメージ。
例えば、付属法の1つとしての公職選挙法。1994年の政治改革四法(公職選挙法の一部を改正する法律、衆議院議員選挙区画定審議会設置法、政治資金規正法の一部を改正する法律、政党助成法)は、選挙の形、政治の形を、法律で変えた。
憲法改正しなくても「国のかたち」は変わる
憲法改正しなくても「国のかたち」は変わる。もう1つの典型例は、安全保障。
明治憲法下で統帥権を国務の外においたことへの反省として、日本国憲法では統帥権を削除した。しかし、それだけでよい訳ではない。自衛隊を創設する際は、法律(自衛隊法、防衛省(庁)設置法)を通じて、国会が関与することによって、コントロールするという説明がなされた。
そういう視点で見ると、自衛隊法は、かなり工夫が凝らされている。活動領域が国内に限られるように意識して作られていること。指揮権は行政各部の指揮監督権として内閣に与えた権限を確認するような規定がされていることなど。つまり、普通の行政組織なんですという説明。
ところが、いつの間にか日米安保条約体制とは言わなくなり、日米同盟体制と言うようになった。最近は、オーストラリアやインドを準同盟国と言うようになっている。法律でも条約でもないガイドラインで実質的に変えている。コントロール不能だった統帥権と似てきている。
そういうことが理論的に可能なのか、何でできるのか、私たちは許していいのか。仕方ないですねと言ってしまうと追認されてしまう。「平和主義を貫くために必要なこと」という今日の講演の副題に対する答えは、このことではないか。なし崩し的に仕方ないとしてしまう冷笑的な態度でいると、この流れを全部認めることになりかねない。それは、力のコントロールに失敗した私たちのやるべきことなのか。
安全保障政策の大転換
2022年12月16日、安保関連3文書を閣議決定で改定した。国会が閉じた後、国会での議論なく。岸田首相(当時)は、1月23日の通常国会開幕までの間に、欧米を歴訪して対外的なアピールを行った。その後に法律化(「防衛財源確保法」「防衛産業支援法」)して、5年間で43兆円の防衛費増額を決めた。
【安保3文書】
国家安全保障戦略
3文書のうち最上位。外交・防衛政策を中心とした国家安全保障の基本方針
国家防衛戦略
国家安保戦略を踏まえて、防衛力のあり方や保持すべき防衛力の水準を規定
防衛力整備計画
防衛大綱が定める防衛力の目標水準の達成のために、今後5年間の防衛経費の総額や主要装備の整備数量を示すもの
閣議決定で既定路線にしてしまう。そんなことが可能なのか。戦前と同じトップダウンのやり方。
国家安全保障戦略には、「国民の決意」という言葉がでてくる。いつの間にか国民が決意を求められる状況が、総合的な指針で示されている。
憲法論からの切り離し
岸田首相(当時)は、2023年1月23日の施政方針演説で以下のように述べている。
「今回の決断は、日本の安全保障政策の大転換ですが、憲法、国際法の範囲内で行うものであり、非核三原則や専守防衛の堅持、平和国家としての我が国としての歩みを、いささかも変えるものではないということを改めて明確に申し上げたいと思います。」
憲法の範囲内で行うといいながら、大転換という位置づけ。憲法を安全保障論と関係ないものにした。かつては、安全保障を語る際、いの一番に憲法9条との整合性が議論されていた。しかし、以下の10年間の出来事「ひとまとまり」で、憲法論からの切り離しがなされた。
2013年 内閣法制局長官人事、特定秘密保護法、NSC法
2014年 集団的自衛権行使容認の閣議決定
2015年 安保法制
2022年 安保3文書閣議決定
安保3文書は、総合的な戦略指針。戦略が執行段階に入った。もはや安保政策は政策論の1つに過ぎず、憲法論とならない。これが本当の意味での「大転換」。
内閣の総合的判断に「おまかせ」
なぜそんなことが可能なのか。2014年閣議決定の憲法解釈変更の枠内だからという理屈なのだろう。2014年の閣議決定は、内閣の総合的判断に「おまかせ」というもの。これは憲法9条とは真逆の考え方。従来は、9条で統帥権を奪ったうえで、法律でコントロールするというスタンスだった。
日本の自衛隊と諸国の軍隊の一番大きな違いは、ポジリスト方式か、ネガリスト方式かということ。諸国の軍隊は、やってはいけないことを法律で規定する。日本の場合は、できることを1つ1つ法律で書かないといけない。自衛隊を海外派遣するときにも、特措法を作らないといけなかった。
それを「基本的に内閣にお任せください」としたのが、2014年の解釈変更と、翌年の安保法制。これによって、十分な権限をゆとりをもって定めた部分が増えた。「存立危機事態」や「重要影響事態」にあたるかどうかも、内閣が「総合的に判断」する。
しかも特定秘密なので、国会議員すらアクセスすることが難しい。裁判所は、統治・安全保障に関わることについては踏み込まない傾向が強い。現実問題として、妥当性のチェックをする仕組みにはなっていない。地方自治体も特定秘密にアクセスできない。
このように、現状は、権力分立、抑制均衡という近代憲法の仕組みから外れてしまっている。透明性の確保や説明責任などの観点で見ると危うい。法制上十分にできなくなっていることは大きな問題。
正式な改憲論議とは別に事実の積み上げが進んでいる
これらのことが、限界を超えているのではないかと、問う機会、問う場面がなくなってしまっている。安全保障論が憲法論でなくなったことで、マスコミの扱いも本当に小さくなってしまっている。もはや政府は憲法違反でないことを説明しない。私たちが問うていかないと誰も言わない。
憲法改正が本格化しなくとも、国のありようは着実にさらに変化する。「国のかたち」を変えるものであり、正式の憲法改正と並ぶ問題として語るべき内容が含まれている。国民主権のもと、憲法改正や実質的な憲法改正が、これまでの改正よりも不真面目に行われてよいのだろうか。過去の憲法制定や憲法改正では、真面目に憲法が語られてきたことを想起する必要がある。明治憲法をつくるときにも、日本国憲法をつくるときにも、高度な憲法論議がなされていた。
国家安全保障戦略は、「国民が我が国の安全保障政策に自発的かつ主体的に参画できる環境を政府が整える」としている。裏を返せば、国民が参画できる環境になっていないということ。有事法制の際にも、国民がお客様感覚なので義務をつくっていかないという議論がなされていた。憲法9条、憲法18条があるため、国民に義務を課すことは困難。緊急事態に義務を課すためには、憲法にとっかかりがあると便利。自衛隊を明記することは、自衛隊を特別扱いしたり、国民に義務を課すための、とっかかりになる。「国民の決意」という心の問題に絡めて議論されていることに注意が必要。地方自治法改正で指示権が作られたこともこの文脈で捉えるべきではないか。
国家安全保障戦略
「国家としての力の発揮は国民の決意から始まる。伝統的な外交・防衛の分野にとどまらない幅広い分野を対象とする本戦略を着実に実施していくためには、本戦略の内容と実施について国民の理解と協力を得て、国民が我が国の安全保障政策に自発的かつ主体的に参画できる環境を政府が整えることが不可欠である。」
平和主義を貫くために
文言として「平和主義」「平和国家」は使われるが、その中身は大きく変わってしまっている。かつて日本の外務省は、軍縮外交を強く打ち出していた。しかし今では「外交のためには軍事力が後ろ盾として必要」というスタンスへと変わってきている。改めて、武力行使の原則違法化の意味や「力の統制」の知恵を再考したい。
武力行使原則違法化の意味
国際法の原則として、武力行使は違法であるということは、ロシアもイスラエルもこれ自体を否定はできない。「強行法規」になっている。
かつては、戦争は王様の権限・権利だった。そこから出発して、失敗を重ねながら歩みを進めて、武力行使を原則違法にした。憲法9条はそれを国内法化したものとして位置づけられる。国際法の構造転換を国内法的に置き換えた。自衛隊というもののあり方。例外として許される「自衛の措置」をとる1つの形として、ギリギリあり得る解釈だったのかも知れない。但し、海外派兵を決めた時点で政府解釈として破綻した。
昔ながらの統帥権は、現在の国際法のもとではあり得ない。では、どう説明するかというときに、行政作用なのだという説明は、国際法の変化にそったものと言いうる。武力行使を違法化した国際社会のもとにおける平和主義の1つの形として先駆的にやってきた。
「力の統制」の知恵を再考する
現在の状況を前提に、力の統制ということを考えた場合、憲法の下、法律でコントロールしますというような形式的なことでは足りない。日米同盟と言い出している今日、統合司令部までいってしまうと、一国の憲法では統制しえない。しかし、できませんでしたでは済まない。
近代憲法のできることを改めて考え直す必要がある。今日、「国家の安全保障」に余りにも傾斜してしまっている。しかし、私たちの自由や私たちの平和を考えるうえで、国家がどこまで関わるべきものなのか。私たちが平和についてどこまで行動できるのか。これまでにない形で考える必要がある。「人間の安全保障」という考え方やSDGsは面白い枠組み。失敗したら別の方法でということがやりやすいソフトな形。国家の枠組みを超えるような政策目標を実現するための柔軟なスキームづくり。地球の上にいる私たち1人1人の問題として捉える感覚が広がっているなか、安全保障も同じように考えられる可能性がある。
権力を分割して、権力を持たない側に権利を保障するという近代憲法の知恵が活かされないといけない時代は長く続く。最終的には国内からどうにかしなければならない。近代憲法が試みてきた権力の統制の方法はまだまだ見直す必要がある。当初の分配よりも内閣に集中度が高まってしまっている現状で、冷笑的になることは何のメリットもない。今こそ、抑制・均衡を私たちが問題にすることによって、よりよい平和へのコミットメントをしつづけることができるのではないか。平和への感度と見識が問われる時代である。