つれづれ語り(先人の足跡に学ぶ)


『上越よみうり』に連載中のコラム、「田中弁護士のつれづれ語り」。

2018年9月26日付に掲載された第43回は、「先人の足跡に学ぶ」です。
弁護士の使命は、弁護士法1条に規定されています。この使命を忠実に果たした、偉大な弁護士について書きました。

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先人の足跡に学ぶ

「1年生」

登録間もない弁護士が書いた「1年生」という文章がある。弁護士になる前に、自閉症の青年の家庭教師をしていたときの経験を踏まえて書かれたものだ。

「彼との付き合いは本当に豊かなものを与えてくれたと思います。人間にとって本当に大事な、ギリギリのものは何か。それを失う危機に直面した時に、彼は自ら心を外に向かって閉ざすという形で対処せざるを得なかったのです。彼の前では、その最も大事なものの上にいろいろはりついた通俗的な虚飾は何の役にもたちませんでした。一つ一つの出来事の中でゆっくりゆっくり心を開いてもらうしかありませんでした。」

そして5年にわたる関わりを経て、ついに彼と心を通わせることができたときの感動と決意を次の様に綴っている。「誰にも伝えられなかったその思いが初めて僕の前で外に向けての形になった時に、『声なき彼らのような人々』の心をくみ取るような仕事がしたいと心から思いました。」

オウム真理教と対峙して

この弁護士は横浜市内の法律事務所に入り、1989年、出家したオウム真理教信者の親から相談されたことを契機に、出家させられた若者を救出するための活動をはじめた。同年10月には「オウム真理教被害者の会」が発足。ところが、宗教法人の認可取消を求める裁判の準備が進められていた矢先の同年11月4日、この弁護士は、教団幹部らによって、家族ともども殺害された。後に坂本弁護士一家殺害事件と呼ばれることになるこの事件では、まだ1歳であった子どもの命までもが奪われた。

事件の数日前に教団幹部が坂本弁護士の事務所を訪れていたことや、坂本弁護士の自宅にオウム真理教のバッジが落ちていてことなどから、教団関係者の犯行であることが強く疑われたが、当時まだ3人の遺体が発見されていなかったことから、警察は「失踪の可能性もある」「事件性は不明」などとして強制捜査に踏み切らなかった。

オウム真理教は、その後、1994年6月に松本サリン事件を、95年3月には地下鉄サリン事件を引き起こすなど、多くの凶悪犯罪を繰り返した。坂本弁護士事件の初動捜査が適切になされていれば、その後の被害は防げていたかも知れないことを思うと無念さが募る。しかし、坂本弁護士らの先駆的な取り組みがなければ、教団の犯罪行為によってさらに多くの犠牲者がでていた可能性もあるだろう。

弁護士の使命

本稿を書くにあたり、改めて事件のことを調べてみて驚いたのは、坂本弁護士が登録3年目の若手だったことだ。教団の反社会性を調査しメディアを通じて発信すること、信者の家族と信頼関係を構築し被害者同士の結びつきを作って会の設立へとつなげること、教団側と直接の交渉を行いつつ認可取消訴訟の準備を進めていること等々、活動の質の高さは、経験豊富なベテラン弁護士によるものと見紛うほどだ。

また、「人は変わることができる」という信念をもっていたとの逸話からは、温かみのある人間性も伝わってくる。事件から30年近く経った今でも、毎年の様に追悼コンサートや慰霊の会が開かれているのは、事件の重大性もさることながら、坂本弁護士の人間的魅力によるところも大きいのだろう。

坂本弁護士の遺体が発見された上越市名立区にたつ慰霊碑には、次のような碑文が刻まれている。「弁護士の使命は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することにある。それ故に正義と人権を踏みにじろうとする者にとって、弁護士の献身的な活動は脅威であり障害となる」「私たちは、坂本弁護士がその使命を命懸けで遂行し、その志半ばで倒されたことを永く忘れることなく、その遺志を引き継ぐことを誓って、ここにメモリアルを建立する」

私自身の弁護士登録からまもなく15年となる。偉大な先輩弁護士の遺志を引き継ぐなどという大それたことは言えないが、せめて自分自身の初心と弁護士の使命を忘れることなく歩んでいきたいと思う。