『上越よみうり』に連載中のコラム、「田中弁護士のつれづれ語り」。
2018年6月20日付に掲載された第36回は、「成人年齢引き下げについて思うこと」です。
成人年齢引き下げについて思うこと
昨年7月に当コラムでもお伝えした成人年齢を20歳から18歳に引き下げる改正民法が今月13日、国会で成立し、2022年4月1日から施行されることになりました。
新制度の概要は、新聞やテレビなどでも詳しく解説されていますのでそちらに譲ることにして、今日は、少し別の観点から、この改正の適否について考えてみたいと思います。
1 変える必要はあったのか?
まず素朴に感じることは、そもそも成人年齢を変更する必要があったのかということです。成人年齢というのは要するに大人と子どものボーダーラインをどこに引くかということですが、普通の感覚からすれば、「18歳は十分成熟しているから大人として差し支えないのではないか。子ども扱いをするとむしろ不都合が大きいのではないか。」という問題提起があって初めて改正の議論が起こるものだと思います。
しかし、今回の場合、2007年5月に投票権年齢を満18歳以上とする憲法改正国民投票法が成立し、「民法もそれに合わせるべきだ」というところから議論がスタートしました。そのため、18歳、19歳を未成年としている現行法のメリット・デメリット、成人年齢を引き上げる必要性等について十分議論されないまま、結論ありきで改正が進められた印象があります。そして、その結果、「18歳から成人としたものの、18歳はまだ未熟なので消費者被害に遭わないようにするため保護する制度を検討しなければならない」という本末転倒の議論になってしまっているわけです。
2 目的と結果の矛盾
たしかに、これまで一般国民の間には「20歳から大人」という意識が定着していましたから、「○○歳から大人」というラインは一定である方が望ましい(というか分かりやすい)というのは国民感情に合致していると思います。
そういう意味では、投票権年齢の引き下げに合わせて民法等の成人年齢も引き下げるという議論のスタートは理解できないものではありませんでした。
しかしながら、今回の改正の結果を見てみると、ラインを一定にするどころか、ある場面では18歳、別の場面では20歳と、大人扱いされる年齢がバラバラになってしまい、統一性という観点はむしろ置き去りになってしまったようです。
もちろんこれは、それぞれの法制度の趣旨や未成年を保護する理由等の違いに基づく合理的な区別ではあるのでしょうが、逆に言えば、18歳、19歳というのはある場面では大人と言えても別の場面ではまだ子どもという微妙な年齢だということでしょう。統一的なボーダーラインを引くのにふさわしい年齢とはいえなかったわけです。
分かりやすさという意味でも「20歳から大人。選挙権は18歳から。」の方が、どれだけ分かりやすく覚えやすかったか・・・・と残念でなりません。