つれづれ語り(医療事故被害と対話)


『上越よみうり』に連載中のコラム、「田中弁護士のつれづれ語り」。

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11月1日付に掲載された第21回目は、「医療事故被害と対話」です。
医療問題弁護団(東京)が開催した40周年記念シンポジウム(10月28日)で、医療事故被害に遭われた方(ご遺族)のお話を伺う機会があり、考えたことをコラムにしました。

このシンポジウムでは、この他にもいろいろと貴重なお話を伺えたので、次回も関連する内容を書きたいと思っています。

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医療事故被害と対話

患者遺族の活動

医療事故で、当時5歳のお子さんを亡くした女性の話を聞く機会があった。腸閉塞で入院中、症状が悪化したにもかかわらず長時間放置され、適切な処置が受けられないまま急死したとのことで、病院側の落ち度は明らかだ。

この女性は、お子さんを亡くした後から、医療安全に関する講演活動をはじめ、現在では、医療対話推進者として、医療安全対策や患者支援等の活動に精力的に取り組んでいる。

被害者の5つの願い

医療事故被害者には、5つの願いがあると言われる。

元の身体に戻して欲しい(原状回復)、何があったのか本当のことが知りたい(真相究明)、反省して謝って欲しい(反省・謝罪)、二度と同じ過ちを繰り返して欲しくない(再発防止)、償いをして欲しい(賠償)の5つだ。

しかし、訴訟をする場合には、制度上、金銭賠償請求という形をとらざるを得ない。訴訟による場合、被害者の願いからはかけ離れた形でスタートせざるを得ない面があるのだ。

医師と患者が共有しうるもの

当然のことながら、医療従事者は事故を起こしたくて起こす訳ではない。最善を尽くしていても起こってしまう事故もあるし、そこに何らかの過誤が介在していたとしても、当該医療従事者個人の努力だけで回避できるものとも限らない。背景に組織や制度の問題があるのならば、事故の再発を防ぐために、それを解決しなければならない。

本来であれば、医師と患者とは、「よりよい医療を実現する」といった目的を共有できるはずである。例えば、多くの外科医が当直明けに手術を行うことが常態化している現状は、医師にとっても、患者にとっても望ましくないことは明らかである。そして、そうした目的を実現するためには両者の協力が不可欠だ。

対話が生むアウフヘーベン

両者の相互理解や協力関係の構築を可能にするのが、対話だ。

対話がないと情報や思いが共有されず、不信感や猜疑心がお互いに募っていく。逆に、対話がなされれば、情報が共有され、相互理解がなされる。単なる譲歩や「足して2で割る」式の妥協ではなく、アウフヘーベン(止揚)がうまれる。

冒頭で紹介した女性も、信頼できる医療従事者との関わりを通して「多くの医師がおかれている実情がわかったことで、自分が何をしなければならないかということも見えてきた。」と語っている。医療従事者にとっても、被害者や遺族と向き合い、気持ちを受け止めることで、得られるものがあるだろう。

弁護士が果たすべき役割

もちろん、事はそれほど単純な話ではない。対話をするうえでは、最低限の信頼関係が必要であるが、医療事故が起きれば、信頼関係は決定的に損なわれてしまうのが通常だ。また、医師と患者は、両者の立場が入れ替わることはないし、専門的知識や経験の有無など、簡単には越えられない壁がある。

しかし、言わなければ気持ちも状況も伝わらない。自らが言うべきことを言い、相手の言うことにも真摯かつ誠実に耳を傾ける、そのことによって、相互理解が生まれるのだ。信頼関係が壊れ、埋めがたい断絶関係にある両者の間を、対話でつなぐことができるか、そこに、代理人としての弁護士が果たすべき重大な役割の1つがあるのだろう。