『上越よみうり』に連載中のコラム「田中弁護士のつれづれ語り」。
6月21日付朝刊に掲載された12回目は、議論のあり方についてです。
互いにバカだと思っていても・・・
先週木曜日,いわゆる「共謀罪」(テロ等準備罪)法が成立しました。国の内外から様々な問題を指摘された法律であることは,みなさまもご承知のとおりかと思います。法律自体には賛成でも,法務大臣の資質,国会論戦の幼稚さ,そして尻切れトンボの審議で採決というなんともがっくりくるような結末などについては,それぞれ思うところがあるのではないでしょうか。
私はこの法律には反対ですが,反対であれ,賛成であれ,みなさんが共通して思うことは,「もう少しまともに議論ができないものか。」というところではないかと思います。国会での審議時間を勝手に設定した上で,「時間切れ」を狙う与党の国会運営には「そんな勝手な・・・・。」の一言しか思い浮かびませんが,他方,「時間さえかければ議論が深まるのか」という問いには,「否」と答えるしかないでしょう。実際,今回の国会審議の内容を見れば,いくら時間をかけたところで議論の内容が深まるとは思えないやりとりのオンパレードでした。この話をすると,「政府の答弁がひどい」という意見と,「野党の質問が的外れだ」という意見が対立するので,ここでは深入りはしませんが。
「どちらがひどい」の話でいえば,ここ最近の,世論が二分されるような政治問題をめぐる議論の特徴の一つに,「互いに相手のことをバカじゃないかと思っている。」ということが挙げられると思います。無知,誤解,騙されている,愚か,嘘つき,卑劣云々。議員,メディア,市民など,多くの声がこういう感情で彩られていて,SNSによってその感情はさらに増幅されていく。弁護士会が発信する意見に対してさえ,そういう感情をぶつけてくる相手もいます。たとえ意見は対立していても,互いに尊敬し合う者同士が議論を尽した結果なのであれば,これほど日本という国にがっかりはせずにすんだと思うと,そういう状況であることが,なによりも残念に思えます。
裁判は,意見が対立する異なる立場の者同士が,互いの利益を巡って正面からぶつかり合う場です。論戦の場という意味では国会と似ている部分はあるのですが,決定的に違うのは,第三者である裁判官が,必ず何らかの結論を出さなければいけないという点です。「互いの意見が食い違いすぎて,よくわかりませんでした。」は許されない。自分の責任で一定の結論を出さなければならないというプレッシャーが,裁判官をして,双方の様々な主張から,事実と評価を区別し,一致点と相違点を区別し,証拠が有るか無いかを区別し,法律論か価値判断の問題かを区別し,「議論をかみ合わせる」努力をさせるのです。
冷静な議論,充実した議論,効率的で合理的な議論のためには,こういう手順,経過は不可欠ではないかと思いますが,この手順は精緻な思考を要求するし,ルールも必要。そして,面倒くさい。ただ,極めて論理的な思考が中心となるため,感情的な意見のぶつけ合いとは一線を画した議論となります。
「最後は多数決で決めるんだから。」という逃げ道が用意されている国会に,これを求めるのは無理なのでしょうか。それとも,「国民」という判断者の目線がもっと意識されれば,国会のあり方も変わるのでしょうか。