1 大飯原発差止判決の学習会
もう3ヶ月近く前のことですが、8月7日に、大飯原発差止判決の学習会で講師をしてきました。
なぜこのタイミングでアップしたかというと、特に深い意味はありません。
はい、そうです。忙しさにかまけて先延ばししてきてしまっただけでございます。
タイトルは、「大飯原発差止福井地裁判決の意義と、柏崎刈羽原発差止訴訟の展望」ということで、大飯原発判決の内容を学びつつ、それを柏崎刈羽原発訴訟にどう活かすかというようなお話しをしてきました。
大飯原発差止判決は本当に画期的な内容で、意義を書き始めると膨大な分量になってしまう訳ですが、私がお話したポイントは3つです。
(1)新しい判断枠組みを採用したこと
従来の裁判では、行政庁の専門的な判断が尊重され、行政庁の判断に見過ごせないレベルの誤りがないかどうか等の点が審理の対象とされてきました。
これに対し、今回の判決は、原発事故が起こる具体的な危険があるかどうかを直接審理の対象とし、なおかつ、この具体的危険は「万が一」でもあればよいとしました。
福島第一原発事故や、その後の対応で、安全基準や審査のあり方が、専門的でも合理的でもなかったことが明らかになった以上、当然といえば当然かも知れません。
ただ、それでも判断枠組みを変更するのは、裁判所としては勇気のいることだったでしょう。
(2)被告の主張を前提にしたきめ細かい事実認定をしたこと
原発事故対策の基本は、「止める」、「冷やす」、「閉じこめる」の3段階であると言われます。
今回の判決は、これらのうち「冷やす機能」と「閉じこめる構造」に欠陥があることを認定しました。
再稼働にあたって要求されたストレステストで、どの程度の重力加速度までであれば原発が持ちこたえられるかというデータが示されていました。
逆にいえば、一定程度以上の重力加速度が加われば持ちこたえられなくなることがはっきりしていた訳です。被告もこれを否定することはできず、裁判でもそれを前提にした主張を行いました。
判決では、それを前提に、重力加速度を3段階に区分し、それぞれの段階で原発の設備や機能がどの程度失われるかをきめ細かく認定しています。
被告の主張を前提にしているため、高裁でも争うことは難しいのではないかと思われます。
(3)人格権の重要性をふまえた格調高い判決であること
判決中の以下のフレーズは、人格権の重要性をふまえた格調高いものです。多くの方の心情とも合致するものではないかと思います。
「極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等を並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されない」
「たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失である」
2 柏崎刈羽原発差止訴訟の現状
今日は、柏崎刈羽原発差止訴訟の期日がありました。
(1)法廷での意見陳述
原告側は準備書面を3通提出し、それぞれの内容について、パワーポイントを使って意見陳述を行いました。
3通のうちの1通は、大飯原発差止訴訟判決の意義について述べたもので、この訴訟の弁護団長である佐藤辰弥弁護士が新潟に駆けつけて意見陳述をしてくださいました。
佐藤弁護士は、福井地裁の裁判官が、福島第一原発事故の被災者の意見陳述に熱心に耳を傾け、国会事故調査委員会の報告書を詳細に吟味するなど、福島第一原発事故に真摯に向き合っていたことを指摘しました。
また、裁判官が、原告に対しても被告に対しても、自ら積極的に質問をして事実関係を明らかにしようとしていたことに触れ、新潟地裁にも同様の姿勢で審理を進めるよう求めました。
原告団からは、柏崎刈羽原発から3キロ圏内にお住まいの伊藤久美さんが意見陳述を行いました。
「私たちは多くのことを望んではいません。ただ、放射能の心配などせずに、当たり前の日常を当たり前に暮らしていきたいだけなのです。」という訴えを聞き、「当たり前の暮らし」をするために裁判を戦わなければならないことの理不尽さを改めて感じました。
(2)報告集会の様子
1で書いた学習会の中で、「上越から裁判の傍聴に行くのはなかなか大変なので、裁判の報告集会を上越で開いて欲しい」という要望がありました。
それも是非実現したいと思っていますが、今日の裁判後に開かれた報告集会の様子を撮影してきましたので貼り付けます。それほど長くないので是非ご覧ください。