つれづれ語り(人間らしく生きるとは)


上越よみうりに連載中のコラム、「田中弁護士のつれづれ語り」。

2019年11月27日付に掲載された第72回は、「人間らしく生きるとは」です。篤子弁護士が、AIの最適解に従って生きるのと、自分で悩んで間違えたりしながら生きるのと、どちらが幸福で人間らしい生き方なのかについて、考えたことを書いています。

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人間らしく生きるとは

今回も、AIと憲法について書きたいと思います。

もともと私は、人間がAIとどのような関係を築いて生きていくべきなのかということに、とても関心がありました。便利というだけでAIに頼り、依存する度合いが高まっていった先に、どんな社会が待っているのか。私たち人間自体が変質していく可能性もあるのではないか。それは私たちにとって幸せなことなのだろうか。そのようなことを考えてしまうのは、子どものころに観た手塚治虫や藤子不二雄のアニメの影響かもしれません。人間とロボットが共生することにはメリットだけではなくデメリットもあるとか、ロボットの使い方を誤ると人類にとって大変な悲劇が起こりうるというような不安感にも似たイメージを漠然と抱いてきました。みなさんのなかにも同じ様なイメージをお持ちの方がいらっしゃるかも知れません。

最近は現実の生活のなかでも、この問題に直面するようになりました。リーガルテックといって、弁護士の仕事の中にも徐々にAI技術の導入が進みつつあるのです。「AI技術を活用して仕事を合理化しよう。ルーティンワークをAIに委ねて、あなたの大切な時間をもっと重要な仕事に使いましょう。」と宣伝されており、広告をみると、たしかにとても便利そうです。誰がやっても同じ仕事はAIにやってもらってもいいはず、うちの事務所でもこういう技術を積極的に導入していこうか。そんなことを考えたときに、いくらルーティンワークとはいえ、これまで自分の手や頭を使ってやっていた仕事の一部をAIに委ねることが、自分にとって、お客さんにとって、はたまた弁護士業界や司法界にとってどのような意味を持つのか。一度立ち止まって考えた方がいいなと思う自分がいます。一見無駄、非効率に思えることが、人間にとっては案外大切なことだったりするのではないか。そう感じるからです。

前回ご紹介した山本龍彦慶應大学教授のAIと憲法に関する講演会の中で、「AIの最適解に従う方が幸福なのか、『自己決定』に執着する方が幸福なのか。AIと憲法の問題を突き詰めていくと、功利主義と義務論の対立のような哲学的な問題に行き着く。」というとても興味深い指摘がありました。

実は、講演会の会場に向かう車内で似たような会話を夫としました。世の中には、結婚相手、仕事の選択、転職の時期など、人生の大事な出来事における重要な選択を、占いや〇〇診断などの結果で決めるという人々が少なからずいます。親に口出しをされると「自分の人生なのだから自分で決めるよ」と腹を立てるようなことも、占いなどの結果にはすんなり従ってしまうのが人間の不思議さです。同じことはおそらくAIにも生じるでしょう。そこで私は夫に対し「とても精度の高いAIから、『この妻とは離婚した方がいい』」と言われたら、あなたならどうする?」と質問してみたのです。

この答えはさておき、みなさんは、AIの出してきた「おそらく正解なのだろう」と思える答えと、「間違っているかもしれないけど、自分の選んだ答え」と、どちらを選択するのかという分かれ道にあったとき、どちらを選ぶでしょうか?

私はおそらく、後者を選ぶでしょう。私にとってのより良い人生とは、「たとえ間違えることがあったとしても、自分で考え自分で選んだ道を生きること」だからです。日本国憲法13条が保障する「自己決定権」には「悩み、ときには間違えることを通じて、自らを成長させていく権利」も含まれている、というよりも、それこそが本質的な中身なのではないかとすら思います。それは一見とても不合理で、非効率なことかもしれないけれど、人が人らしく生きる上でもっとも根源的で大切な権利なのではないでしょうか。

 


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