つれづれ語り(自己の責任を問われるべきは誰か)


『上越よみうり』に連載中のコラム、「田中弁護士のつれづれ語り」。

2018年11月21日付に掲載された第47回は、「自己の責任を問われるべきは誰か」です。ジャーナリストの安田純平さんの身柄解放・帰国を受けて、一部で巻き起こった「自己責任論」について語っています。

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自己の責任を問われるべきは誰か

たった一度でいい

「たった一度でいい。世界中の人たちが戦場を自分の目で見たら、リン火剤で焼かれた子どもの顔、一個の銃弾によってもたらされる声も出ないほどの苦痛、手榴弾の爆風で吹き飛ばされた足。そんな恐怖と不合理と残虐さを、皆が自分の目で見れば、戦争はたった一人の人間にさえ許されない行為を万人にしているのだと、きっとわかるはずだ。」

戦場ジャーナリストで写真家のジェームズ・ナクトウェイが、ドキュメンタリー映画『戦場のフォトグラファー』の中で語った言葉だ。新潟日報の「興論」で、映画監督の森達也さんが紹介しているのを読み、知った。

安田さんの経歴

安田純平さんが繰り返し紛争地域に行くのも、同様の思いを持っているからなのだろう。

安田さんは、一橋大学を卒業後、信濃毎日新聞に入社。フリーに転身した後、03年にイラクに入り、04年4月、武装勢力に身柄を拘束された。身柄解放後、『囚われのイラク:混迷の「戦後復興」』や、『誰が私を「人質」にしたのか‐イラク戦争の現場とメディアの虚構』などの著作を出した。07年にもイラクへ行き、現地で料理人として働きながら、アジアからの出稼ぎ労働者が戦争を支える過酷な実態を取材して、『ルポ 戦場出稼ぎ労働者』を執筆している。

2015年5月、シリア内戦について取材するためにトルコ入りし、同年6月にシリア国境を越えた直後に、音信が途絶えた。後藤健二さん、湯川遙菜さんがシリアで身柄を拘束され、殺害されたのは、同年1月のことだ。安田さんは、自身に及びうる危険を十分に知った上でそれを引き受け、ジャーナリストとしての責任・使命を果たすべくシリアに行ったのだ。誰にでもできることではない。

シリアの内戦

シリアの内戦は、2011年、「アラブの春」に影響を受けた平和的な反政府デモを、アサド政権が軍隊を使って弾圧したことが発端となって、はじまった。

反政府勢力に周辺国から過激派が入り込み、対立が激化。各国や各種勢力が、それぞれの思惑に基づいて関与・介入し、泥沼化している。内戦による死者は35万人以上、国内外の避難民は1200万人以上に上るとも言われている。

自己の責任

冒頭で紹介した言葉には次の様な続きがある。「でも皆は行けない。だから、写真家が戦場に行き、現実を見せ、事実を伝え、蛮行を止めさせるのだ」。

安田さんは、これまで「戦場に行き、現実を見せ、事実を伝え」るという自身の責任を果たしてきたし、今後も果たし続けるだろう。

シリア内戦をめぐっては、部分停戦の合意に基づいて非武装地帯を徐々に広げる努力が積み重ねられているが、未だ全面停戦を見通すことはできない状態が続いている。「蛮行」により命が失われる事態も止んでいない。もし、「自己の責任」が問われるとすれば、それは、そうした情報を受け取り、現実を知った私たちの方なのではないだろうか。