主権者教育についてのシンポジウム@上越教育大学


1 シンポジウムの概要

上越教育経営研究会の主催

7月9日(土)、上越教育大学内で開催されたシンポジウム「教育で未来をつくるには」に、
シンポジストの1人としてお招きいただき、参加してきました。

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主催は、『上越教育経営研究会』。
『上越教育大学教育経営コース同人会』が前身で、93年に設立された研究会のようです。
以降、毎年『教育経営研究』という研究紀要を発行していらっしゃるとのこと。
今回のシンポジウムの内容も、録音・反訳されて、
来年発行される研究紀要に掲載されるということを当日知り、にわかに緊張が高まりました(笑)。

シンポジウムのテーマ

シンポジウムのテーマは、主権者教育や政治教育のあり方を問うものでした。

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上教大講師の中平一義さんからは、
主権者教育の目的や内容、視点や注意点についてお話がありました。
また、同大学大学院生で中学校教師の室井章太さんからは、
模擬投票の実践事例について詳しく報告されました。
そして、同大学教職大学院准教授の原瑞穂さんからは、
外国人参政権をめぐる諸問題について、問題提起がなされました。

コーディネーターは、同大学院准教授の堀健志さんがされましたので、
教育の専門家のみなさんのなかに、
素人の私がなぜか1人紛れ込んでしまう形となりました(笑)。

2 私からお話したこと~2015年通達の内容と問題点

私からは、文部科学省が2015(平成27)年10月29日付で出した
「高等学校等における政治的教養の教育と高等学校等の生徒による政治的活動等について」
という通達の内容と、問題点についてお話ししました。

通達の概要

この通達は、18歳選挙権が導入されることをうけて、
1969(昭和44)年に出していた従来の通達を廃止し、新たにだされたものです。

通達は、「(政治的教養を養うことは、)民主主義を尊重し、
推進しようとする国民を育成するに当たって欠くことのできないもの」であるとしている一方で、
「政治的中立性」が過度に強調されていたり(問題点その1)、
高校生の政治活動が過度に制限されたりしている(問題点その2)といった問題があります。

政治や社会と自分の生活との関わりを知ることが主権者教育の出発点

(1)主権者教育の目的

主権者教育は、「18歳選挙権が導入されたから、
それに備えて政治のことを勉強しよう」という様な、ツマラナイ話ではありません。

それは、主権者教育の目的が、
子ども達に政治について詳しくなってもらうことそれ自体にある訳ではなく、
子ども達に、よりよく、より自分らしく生きる力をつけてもらうという点にあるからです。

(2)主権者教育の出発点

よりよく、より自分らしく生きるためには、
自分の生活と密接に関わっている政治や社会の問題について
よく知っておく必要があります。

その意味で、政治や社会の問題と、自分の生活との関わりを認識してもらうことが
主権者教育の出発点になります。

そして、社会と自分との関わりについては、下記の両方向から認識できるのが望ましいと思います。

  • 社会→自分(社会の問題は他人事ではなく、自分の生活にも影響しうる自分事であること)
  • 自分→社会(個人的な悩みに思えても、実際には社会的な問題が背景にあること)

(3)現実の社会問題・政治問題を取り上げることが有用

この点を認識するためには、現実の社会問題・政治問題を取り上げることが有用です。
架空に設定された問題では、自分との関わりをイメージすることが難しいからです。

このため、今回の通達が
「現実の具体的な政治的事象も取り扱い、
生徒が有権者として自らの判断で権利を行使することができるよう、
より一層具体的かつ実践的な指導を行う」べきであるとしている点は、適切だと思います。

問題点その1~歪んだ「政治的中立性」が強調されていること

(1)「政治的中立性」を根拠にしてなされる「政治介入」

今回の通達では、
教師が自分の意見を述べてはならないかのように記載されているなど、
「政治的中立性」が歪んだ形で膨張し、過度な介入・制約が許容されています。

そもそも教育に「政治的中立性」を要請する根拠とされているのは、
教育基本法14条2項の、「(略)学校は、特定の政党を支持し、
又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない」という規定です。

ここでは、「特定の政党を支持」したり、反対したりするための、「学校」の活動が、
禁止されているに過ぎませんので、上記の様な介入・制約は明らかにこの範囲を逸脱しています。

さらに、この通達に先行する形で、以下の様に異常な事態まで起こっています。
自民党が政治的中立性を逸脱した教員に罰則を科すよう法改正すべきだという提言を出した
自民党議員が高校で模擬投票を実施したことを県議会で問題にして学校側に謝罪させた

ここまでくると明らかな「政治介入」であり、
それこそ「政治的中立性」を損なうことになるのではないでしょうか。

(2)子どもや教師の権利や自由に対する認識の欠落

どうしてこのようなことが起こってしまうのか、
それは「まず政治的中立性ありき」という考え方に立っているところに、根本的な問題があります。
このような考え方に立つと、「政治的中立性」を損なわない範囲で、
子どもや教師の「自由」を認めればよいという発想になってしまいます。

しかし本来は、「まず子どもの学習権と、それに応える教師の教育の自由ありき」でなければなりません。
つまり、子どもや教師に認められている権利や自由を、
「政治的中立性」を根拠に制約してよいのかどうかこそが問われなければならないのです。

子どもや教師の極めて重要な権利や自由を制約することが許されるかどうかが問われているのに、
この点の認識が欠落しており、完全に逆立ちした考え方になってしまっているために、
「政治的中立性」を損なうようなことはけしからんから処罰しよう、謝罪させようという発想になってしまうのでしょう。

問題点その2~高校生の政治活動に対する広範な制限

また、高校生の政治活動が、過度に制限されていることも問題です。

授業時間帯などに、学校内でなされる政治活動に対しては、
他の生徒の学習権との関係で一定の制約が課されることはあり得るでしょう。
しかし、今回の提言では、休日に学校外で行う活動について制限・禁止することまで認めており、
行き過ぎは明らかです。

愛媛県などで採用されている「事前届出制」も、
生徒の思想信条を学校側に開示することを事実上強制するに等しく、憲法上許されません。

参考文献など

今回、シンポジウムの準備をする過程で、
日弁連が今年6月21日付で出した「高等学校等における政治的教養の教育等に関する意見書」や、
国立国会図書館の調査と情報『主権者教育をめぐる状況』のほか、
以下の書籍を参考にさせていただきました。

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3 自民党の「実態調査」と学校現場からあげられた反対の声

「密告」呼びかけ

折しも、シンポジウムの前日に、自民党のウェブサイトで、
「学校教育における政治的中立性についての実態調査」なるページが立ち上がり、
メールフォームでの「密告」が呼びかけられていることが話題となりました。

文言が一部修正されたり、一部削除されたりしたようですが、
メールフォーム自体は今も残されています。

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・学校現場での具体的実践を地方議会で取り上げて非難する、
・「政治的中立」を逸脱した教師を処罰する法改正を求める、
・「政治的中立」を損なう事例について密告を求める、、、
自民党は、いつからこんな「不自由」な政党になってしまったのでしょう。

現場からあがった反対の声

そのようななか、ツイッターで、以下の画像を添付して、
「私自身の「事例」を投稿して、政権与党としての見解を明らかにするように求めた。
私は1人の教員として、学校現場の萎縮を危惧し、この#密告フォームに反対する」
という投稿がなされました。

図1

この投稿を見て、「私が先生になったとき」という詩を思い出しました。

私が先生になったとき
自分が真理から目をそむけて
本当のことが語れるか

私が先生になったとき
自分が未来から目をそむけて
子どもたちに明日のことが語れるか

私が先生になったとき
自分が理想を持たないで
子どもたちにどうして夢が語れるか

私が先生になったとき
自分に誇りを持たないで
子どもたちに胸をはれと言えるか

私が先生になったとき
自分がスクラムの外にいて
子どもたちに仲良くしろと言えるか

私が先生になったとき
自分の闘いから目をそむけて
どうして子どもたちに勇気を持てと言えるか

この先生は、自由や権利を脅かされた場合には、逃げたり萎縮したりせずに
たたかわなければならないということを、自らの行動で示されたのだと思います。
「教室内で言葉で伝える」ことに止まらず、「実社会における自身の行動で伝える」というのは、究極の教育実践であると感じました。

「先生」を「親」に置き換えると、上の詩は、自分自身に突きつけられる内容になります。
私も、子どもに恥じることのない様な生き方をしたいと思います。