9条改正に関する新潟日報掲載コメント、の補足


新潟日報の記事

新潟日報の10月18日付朝刊に、9条改正問題に関する私のコメントが載りました。

20171020105456-0001

さらっと読むと、9条改正に反対の弁護士の意見と、賛成の自衛隊OBの意見がそれぞれ載っていて、私がとにかくよく考えましょう的なことを言っている感じなのですが、私自身は「中立的」な玉虫色のことを言っているつもりはありません。

私が言いたかったのは、①1人1人が自分の問題として考える、②専門的・学術的見地をふまえて考えるという2点です。

求められる知的誠実さ

よく憲法と自衛隊に関する議論について、「不毛な論争」「神学論争」みたいなことを言う人がいますが、自分の無知を棚に上げた、無責任かつ不誠実な物言いだと感じます。

専門家でない人が発言すべきではないなどということを言うつもりはまったくなく、むしろ幅広い方が自分の意見を発言・発信することが望ましいと思いますが、明らかに誤った理解を前提に議論していても、あまり実りはありません。その意味で、最低限の基礎知識を身につけることが出発点であり、議論の前提条件になると思います。

同様の理由から、専門家である憲法学者の意見にまったく耳を傾けないということほど愚かなことはないと思っています。

多数派の暴走に歯止めをかけるのが憲法(学)の役割

政治的・政策的な議論と、法的な議論が「噛み合わない」というのは、安保法制のときにも生じた現象です。そして、与党の政治家からは、法律家の思考や発言が現実を見ないものであるといった趣旨の批判もなされました。

しかし、憲法は一時の熱狂で多数派が暴走することに対して歯止めをかけるという役割をもっています。人間は誰でも間違いを犯します。多数意見が常に正しいとは限らず、多くの人がみんなで間違えてしまうこともあります。

このため、「国防の危機だ」、「国難だ」、「国益が損なわれる」などという煽り文句を受けて誤った方向に行ってしまわないように、冷静なときに判断して決めたこと=憲法によって、多数意思によっても覆すことができない枠をはめている訳です。

憲法9条の背後にある価値観

憲法9条を発案したとされる幣原喜重郎総理(当時)は、「原子爆弾の出現によって、文明と戦争は両立しえなくなった。文明が戦争を抹殺しなければ、やがて戦争が文明を抹殺する。」と述べました。数多くの尊い犠牲のうえに、武力によって紛争を解決する(できる)という考え方自体が誤りであるとの認識に至ったのでしょう。

選挙で明確な意思表示を

政治家が「みっともない憲法」「不毛な論争に終止符を打ちたい」などと恥ずかしげもなく発言しているのを見ると、憲法によって多数派の暴走に歯止めをかける必要性を痛感します。また、選挙で立憲主義や民主主義、「法の支配」の必要性を訴えなければならないのは、いまの日本が非立憲的であり、非民主的であり、かつ「人の支配」の状態にあるからです。

多数派の暴走に歯止めをかける憲法の機能を果たさせるのに一番有効な方法は、選挙での意思表示です。まっとうな社会を取り戻すために、賢明な選択・意思を表示しましょう。

なお、新潟日報の記者さんは、ご多忙ななか遠路はるばる新潟から上越まで足を運んでくださり、その後もメールや電話で細かい表現についてまで綿密に確認してくださいました。また、限られたスペースのなかで何とか私が言いたいことが少しでも多く盛り込めるよう最大限配慮していただきました。心より感謝申し上げます。