正月のテレビ番組を見て考えたこと


1 人工知能の進歩で

正月、NHKで人工知能に関する番組が放映されていました。
子どもの相手をしながら見ていたのでやや正確性に欠けるかも知れませんが、番組では、人工知能が加速度的に進歩しており、2045年には全人類の知能を凌駕するようになるという予測が紹介されていました。

アメリカでは既に犯罪の予測や、ヒット曲の予測などに利用されているとのこと。
人工知能が予測した通りの時刻に、予測通りの場所で犯罪者を捕まえたと興奮した面持ちで話す警察官の姿や、人工知能の予測通りに大ヒットした新人歌手のインタビューなどが映し出されていました。

それらの映像を見ながら強い違和感を感じると共に、このままいくと将来的には、手塚治虫のマンガのように、政策決定なども含めてすべて人工知能の判断に委ねることになってしまうのではないかという不安を覚え、それは絶対にすべきではない、「人間主権」を放棄すべきではないと感じました。

2 思考停止に陥らないように

そんなことを考えていて、実はそれは将来の話ではなく、現在の状況にも通ずる部分があるような気がしてきました。

(1)総選挙の結果

メディアの世論調査によれば、現政権が進めようとしている重要な政策のほぼすべてについて
国民の半数以上が反対の意見を持っています。
それでも選挙をした結果、与党が多数を占めることとなりました。

もちろん、小選挙区制は民意が正確に反映しない制度であること、時期も趣旨も不明確な解散であったこと、自民党からの「要請」でメディアが萎縮し、報道が低調に終わったこと等の事情もありますが、それでも自民党が相対的に多数の票を得たのは事実です。

それは何故なのか。いろいろな要因があって、簡単に結論を出すべきことではないのでしょうが、
私たち主権者の側にも問題があるように思います。

(2)お任せ民主主義?

日本は国の統治機構については代議制民主主義を採用しています。
非常に優れた制度だと思いますが、主権者の意識が低下してしまうと、「お任せ民主主義」になりかねないリスクも抱えています。

人工知能に判断を委ねることについては違和感を覚える人が多いと思いますが、政治家に対しては知らず知らずのうちに判断を委ねてしまっている面があるのではないでしょうか。

TBSのサンデーモーニングでは、群衆と戦後70年というテーマの特集が組まれていました。
フランスの心理学者ル・ボンの「群衆」についての分析として、以下のような特徴が紹介されていました。

  1. 反復・断言に弱い
  2. 同一化する
  3. 服従する

安倍総理の言動を見ると、断定的な表現を繰り返し用いて(1)、国民を同一化させ(2)、
自分の思い通りに事を進める、誰にも邪魔はさせない(3)という執念のようなものを感じることがあります。
このような総理に「お任せ」してしまうと、一気に危うい方向に進んでしまいかねません。

(3)不断の努力

香港で、学生達が民主的な選挙を実現するためにたたかっている様子を見ると、そうした制度が憲法で保障されていることの重みやありがたさを痛感します。
しかし、せっかく民主的な選挙制度があっても、私たちが意識を高く持たなければ「国民主権」は形だけのものになってしまいます。

憲法12条は、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。」と定めています。思考停止に陥って、「国民主権」も「人間主権」も放棄するようなことにならないために、不断の努力を続けていきたいと思います。