「私らは侮辱のなかに生きています」


1 安倍総理の記者会見を見て

2012年7月16日に開催された『さようなら原発10万人集会』のあいさつで、作家の大江健三郎さんは、中野重治の短編『春さきの風』から「私らは侮辱のなかに生きています」という一節を引用しました。この言葉は、多くの国民の反対の声を押し切って大飯原発の再稼働が強行されたことを受けて発せられたものでしたが、9日の安倍総理の記者会見を見て、私たちは「侮辱のなかに生きている」としみじみ思いました。

安倍総理は、強行につぐ強行を繰り返したことも、国内外からかつてないほどの批判を受けたこともなかったかのように、野党との「修正」で「よい法律にすることができた」と述べ、「国民の懸念を払拭すべく丁寧に説明していきたい」と言ってのけました。

要するに、せっかくよい法律ができたのに、みんなが誤解をしている(から説明して誤解を解きたい)ということを表明したわけです。

国内外から寄せられた批判は、安倍総理がいう通り「誤解」に基づくものなのでしょうか。

2 秘密の範囲が際限なく広がること

秘密保護法では「その他」という文言が多用されています。
何でもかんでもこの「その他」にあたるとしてしまえるため、秘密の範囲が際限なく広がるおそれがあると指摘されているわけです。秘密の範囲を限定するためには、この文言を削除しなければならないはずです。

しかし、安倍総理は何の根拠も示すことなく、「今ある秘密の範囲が広がることはありません」と言い切りました。

3 一般市民も調査や処罰の対象になること

秘密保護法は、秘密の取得、共謀、教唆、扇動など、あらゆる類型の行為を処罰対象にしています。秘密の範囲が無限定であることと相まって、一般市民が意図せずにこの法律の規定に抵触する行為をしてしまう可能性は十分にあります。

また、秘密を扱える人物であるかどうかの「適正評価」では、本人はもちろんのこと家族もプライバシーが侵されることになります。

これらのことからすれば、一般市民が処罰や評価(調査)の対象になることは、この法律の前提になっていると言っても過言ではないでしょう。

しかし、安倍総理はやはり何らの根拠も示さずに、「一般の方が巻き込まれることも決してありません」と言い切りました。

4 「侮辱されている」ことを胸に刻んで

一国の総理の言葉がこんなにも軽く、また欺瞞に満ちていたことが、かつてあったでしょうか。

安倍総理は、総理である自分が言い切ってしまえば、国民の多くはそれを信じるだろうと本気で思っている節があります。オリンピック誘致のスピーチで、「(汚染水は)完全にコントロールされている」と言い放ったときも同様でした。

主権者であるにもかかわらず完全に軽んじられている私たちは、「侮辱されている」ことを胸に刻みながら行動していく必要があります。